《有難い 身近な普通 あればこそ》

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 関わっている組織の活動の一環として,福祉の大会に参加して,記念講演を拝聴しました。演題は「孤独・孤立問題の現状と伴走型支援」でした。関西地区の大学の先生が講師として招かれていました。
 話のスタイルは,映画やテレビドラマ,小説やマンガなどから一部のシーンを抜き出して,登場人物の言葉に表されている状況を確認し,解説を加えていくものでした。講師自身の言葉ではなく,公開されている人物の言葉を借りることで,講師と聴衆が同じ立場で受け止めていくという,共感を促すスタイルでした。ただ,あまりにあれこれジャンルの違う人物がランダムに紹介されるので,話は一応はつながっているのですが,人物の背景となる状況が不統一なために受け止め方が切れ切れの感じになってしまいました。
 話の内容ですが,まず最初は,人がどのような状況で孤独・孤立に向かうかという指摘でした。何となく,あるいはあからさまに他者から疎まれているという経験しかしていないという理由の説明でした。世間が安心なものではないという経験から,冷たい世間とは関わりたくないという選択によって,孤独に向かっていくことも考えられるということです。
 周りにいる支援者は,助けを求める声が聞こえて来ないという認識を持っていますが,察して気付いてやることができていないということはないのでしょうか。確かに助けという明確な形にはなっていなくても,困っているという形は見ようと思えば見えているはずではないかという反省も必要になります。お互いにコミュニケーションが不完全であるという現状を再確認する必要性が指摘されました。
 もう一つの論点は,人間の弱さに対する価値観です。弱くてはいけない,弱さは人に見せられない,弱い人は排除されるといった,負のイメージがあると,孤独・孤立に閉じこもり,一方で押し込めてしまうようになります。人は誰しも弱さを持っていて当たり前と自覚し,その弱さを共に補いあい,何とか支え合っていこうというのが人間社会のあり方であるはずです。ただし,その進む早さはゆっくりであることから,今の世間の活動のスピードにはついていけません。だからこそ,焦らないで,ゆとりを持って,一人ひとりが信頼を持って互いに支え合う社会を目指していく希望を持つことが人の幸せには大事なのでしょう。
 講演を聞きながら,人に疎まれたり,弱さに苛まれたりすることもあったと,他人事ではないと思ったりしながら,それでも信頼を失わないできたことを僥倖であると振り返ったりしています。普通であることで,極端に一方に落ち込まないで済んできました。周りの人のお陰であるし,そのお陰を周りの人に少しですがお返ししてきたことでよかったようです。

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(2024年11月10日:No.1285)