《有難い ひょんなことから 気付き得て》

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 人間という言葉は,元々は世の中,世間,人の世を表していたそうです。人を意味するようになったのは江戸以降のようです。
 人という字は,横向きの人を象形する形だそうですが,お互いに支え合っている形をしていると語られることがあります。活字では寄り添うように見える形です。ところが,小学生に教えるときの筆順の説明では,一画は片仮名のノの字のように書き,二画は一画の中程から支えるように短く書かれます。その形は,支えられる1画を2画が支えているように見えてきて,支え合っているという風には見えません。
 左右の人差し指を指先を向き合わせて末広がりに開くと,人の字になります。公式にはその形ですが,世間では左の人差し指に右の親指が添うような形です。これでは支えっぱなしで不公平に思われます。ただ,人と人は寄り添っていなければ生きていけないということは見えてくるようです。支え合わせるということから,支合わせと書いてみると,仕合わせとは違った,幸せの類語ができあがります。
 人間という,人の間を意識した人間観では,支え合いは,実際上は支えられたり支えたりという,お互い様の状況になるはずです。あるときは支え,あるときは支えられるということです。支えることと支えられることが時と場合に応じて交代しながら,五分と五分,それを表すのが,公式の人の字になるのです。この支え合いができるように意識付けを願って,人に間柄を付記して人間という言い方がされてきたのではないかと勝手に思っています。
 ちょっとした考察を伝えるために,文字の形や読み音にキーワードを準えることは,覚えやすさも期待されて使われる手法です。まさに取って付けた論法にすぎませんが,共有する便法としてこじつけはそれなりに効果を発揮してくれます。学術的表現には文字通り論外ですが,巷間ではそれなりに想定内として通用しています。言われてみればそうだなという一時的な納得が伝わるならば,結果良ければ全て良しとなっています。気楽なおしゃべりも時には役に立っていることでしょう。

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(2024年11月03日:No.1284)