《有難い 言葉を使う こつが見え(3)》

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 言葉を覚えることは心の食事です。どのような種類の言葉を覚えて使うか,それが心の活動になり,人としての品格を表します。人権宣言において,人は理性を持つと謳われていますが,それは言葉を獲得したことから得られたものです。
 地元紙の記事に,高校生が「自由」について論議をした活動が紹介されていました。その中で,「自由はなぜ難しい?」,「一番大切な自由は何?」という問いに対する高校生の意見が紹介されていました。次のようなものでした。
 自由はなぜ難しい?という問いに対して。
 「自由は一人一人違うから難しい。自由の基準が人それぞれ違うから。自由だからこそ難しい。自由の感じ方は人それぞれ。自由の種類が多いから。何が自由で不自由かがわからない」。これらの意見では,例えば「今から自由時間。何をしてもいいよ」という状況を考えるとき,したい何が見つからない,どの程度までいいのかという条件などが曖昧という難しさがあるようです。
 「自由と自由がぶつかるから。自由には責任が伴う。自由の限度がないと他人の迷惑をかける。自由は逆に不自由なのではないか?という言葉が難しい。自由に伴う責任を果たす覚悟がないから」。これらの意見は,自分の自由が他者との関わりを持つ場合における不都合の発生を危惧する難しさです。他者に迷惑をかけてはいけないという社会的な責任との絡みがあります。自由奔放や我が儘になると人それぞれの自由を侵すことになるのでダメということです。
 一番大切な自由は何?という問いに対して。
 「選べる状態が大切。選択できる自由。選択できることが大切な自由。自分で選べる。考える自由。自分らしく生きる自由。好きなことができる自由」。これらの意見では,自分で考えて選ぶことができる自由が大切ということになります。
 意見を紹介する囲み欄では「人権」というキーワードが中央に大きく掲げられていました。自由は基本的人権の要素だからです。自由とは,自らに由ることから,それぞれ自分のあり方を自分の責任において決断できるということです。逆に言えば,他者から自分のことを決められることはないということです。決断の影響が他者のあり方にまで及ぶようなことは他者の自由への侵害になるからです。したがって,高校生の意見はきちんと的を射ていると感心しています。
 人権を考えるときに前提としていることは,人は一人ではなく人間として社会で生きているということです。人と人の間を認識した上での決断をすることが必須になります。自分のあり方と周りの他者のあり方がつながるそれぞれの間の一致がなければ,いずれのあり方も実現しないということです。お互いの間が違う,それは間違いなのです。
 その間の一致を実現する手立てが言葉による表現であり,お互いの了解を目指すことになります。お互いに分かり合うことで,間がつながることができます。お互いを非難する言葉ではなく,お互いの状況を認めようとする言葉が人間の求めている言葉です。

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(2024年12月15日:No.1290)