家庭の窓
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数軒先に住んでおられた初老の男性が,風呂場で孤独死されていたことを,近所の立ち話で知りました。連絡が取れないと心配した知人のお陰で見つかったということです。報道で知る事案がこんなに身近で起こるとは,驚かされます。一人暮らしの悲哀が身近に感じられました。同じ町内会でもあり,出会うと挨拶をしあうお付き合いでしたが,今はただご冥福をお祈りするばかりです。
地域の人のつながりがどんどん薄れていくのを,身近に見ることが増えてきました。婦人会はかなり前に解散になっています。今年度は子ども育成会連合会が解散になると耳に入ってきました。老人クラブも新入会が進まず,減少の一途です。地域を拠点にするボランティアグループも高齢化で減少し,活動できなくなっています。PTAもあちこちで不要の声にあえぎながらの状況になっているようです。
組織の解散を招く最も大きな事象は,役職・役員への就任の拒否です。世話をしてもらうのはいいのですが,世話をするのはご免ですということです。その理由は,生活のために時間を使うので,余計な時間は割けませんということです。このような問答無用の玄関払いではなく,どこまでならできるということを打ち明け,お互いに了解することができる,そういう確認さえできたら,なんとかつながりは維持できていたはずです。そういう気遣いもできない幼さが,社会人として残念に思われます。
人と人とのつながりは,お互いにできることをつなぎ合わせることです。その手続きをしないのは,辞退するのではなく,拒否することです。見ず知らずの関係ならそれもあり得ますが,それを地域のつながりの中で持ち出すということは,地域には見ず知らずの関係しかなくなったということのようです。
住み慣れた地域で安心して,そういうフレーズが聞こえてきますが,住み慣れたということからうかがえるのは,人の温かなつながりです。その期待される地域は,今では住み慣れない地域という形に変質してきました。人はつながりなしではいけてはいけないはずなのに,全くつながりはないのかというとそうではなく,実はネット世界につながりを持っていると思い込んでいます。ラインのようなネットつながりが,地域を代替しています。そばに座っているのに,つながっているのはスマホの先にいる人という構図が,現在の地域なのです。不思議な光景です。
このままなるように放置しておいていいのか,そうでなければ何かできることはあるのか,考えなければなりません。つながりを持つとやっかいなことになる,面倒なことに巻き込まれることになるというデメリットしか見えていないのが実情のようなので,メリットを明らかにして,ちゃんと伝えることが必要でしょう。
つながりの良さというものは,つながった後になってしみじみと実感できるものです。してみなければ分からないことは,えいやっとしてみないといけません。そのちょっとした敷居を乗り越えてみる勇気をどうすれば発揮してもらえるのか,その合図の仕方が当面する課題です。
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