《楽しみは 素の報道に 触れるとき》

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 我が家のテレビのリモコンは持つつもりはありませんので,視聴する番組の選択もしていません。それでも時折垣間見ていると,イラッとする場面に出会います。例えば,あるテーマで進行しているビデオ映像をスタジオにいる人たちと一緒に見ているという状況で,流れる映像がある驚きの展開に移行しようとする瞬間に,テレビ画像はスタジオの面々が「え〜」という驚きの表情をするところに切り替わって,視聴する私たちは置いてきぼりになります。スタジオだけが楽しんでいるという状況で途切れ,そこでコマーシャルフィルムが続きます。
 この手の視聴者をいったん置き去りにすることで,興味をつなぎ止めておこうとする手法が目につきます。コマーシャルの間に興味が冷めないようにしたいという意図があるのでしょうが,盛り上がりの途中ではぐらかすような意地悪をするコマーシャルは悪趣味として無視することにしています。面白いものを見せてくれてありがとうという思いをいただくことができたなら,親切なコマーシャル提供者に敬意を表したいと思っているのですが。
 テレビは報道機関であると思っていたのですが,このところの放送番組を見ていると,少し違っているようです。情報を仕入れて整理して提示していただくのですが,そこで情報内容には無縁な肩書きの人がコメンテーターという立場で割り込んできて,あれこれ解説めいた感想を言われています。視聴者は提供される情報を元に考える必要は無いということのようです。何を放映するかという段階で機関としての考えが関わっている上に,コメント風の感想に誘導されていきます。
 タレントがタレントを発揮するのではなく一人間として食べてみて感想を言う映像も多すぎます。視聴者は見せつけられるだけで,生唾を飲み込むしかありません。こういう料理がありますと紹介するまでの報道で良いのです。感想は視聴者が語るのです。
 また,同じタレントがあちらこちらと顔を出していますが,お一人様一つにしてほしいものです。個人的なファンサービスのつもりでの登場は公共電波ではないところでお願いします。多様性の時代です,できるだけたくさんの人の登場機会を生かしてくれた方が,視聴者としてはうれしいのです。
 テレビがつまらなくなってきたのは,世の中を知らせてくれる報道が薄れてきたせいではないかと思われます。やたらに俳優や漫才師などのアルバイト出演に思われる番組が目立って,報道専門の人の登場が見当たりません。テレビ業界の事情としてのコマーシャル依頼者の意向をつなぐ視聴率の呪縛があるのかもしれないと同情もしますが,報道機関としての本筋を外したら存在が危ぶまれます。
 テレビに密着していることもないので,番組が存続しようが変質しようがどうでもいいのですが,報道機器としての期待は持っていますので残念な思いがあります。

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(2025年03月16日:No.1303)