《楽しみは 人との間 つながって》

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 福祉関係の団体に所属していると,民生児童委員との関わりがあります。ある機会に,その関わり合いのイメージを共有する必要に迫られました。なんとなくではなく,できるだけ具体的に認識化しておきたいと状況を振り返ってみました。
 まずはこちら側の福祉団体が実施している活動の整理から始めましょう。行政と協働になりますが,地域住民やボランティア,各種団体等による自助,互助,共助,公助による地域福祉の推進を進めています。この助けるという支援は,かつてのように必要な人に手出しをすることが,個人情報の守秘義務のために,できなくなっています。助けの窓口に申請することが必要な待ち受けという状況になっています。
 助けを求める人は「助けて」という申請をしなければ,助けてもらえません。何か不具合な事態が発生した後で,「言ってくれたらなんとかできたのに」という後悔が語られています。困っている人は追い詰められているので「助けて」と言える余裕がないのです。また,どこに訴えていけばいいのかも分からないという状況もあります。自助は我が事なのでつながりますが,互助,共助,公助については助ける人につながらないという間抜けな状況があります。
 人は社会生活をすると人間になります。人との間が相互につながるのです。困っている人とつながっている家族がいれば,その縁という間によって互助や共助につながることができます。問題なのは,誰ともつながっていない孤独な人です。身近に「助けて」の声を伝えることができる人がいないので,声はつながりません。身近な人であれば,言われなくても,困っていることは察しが付くことでしょう。
 さて,民生委員さんですが,その名から察すると,「民を生かす」,つまり,国民,市民,町民を生かすことをめざす人たちです。もちろん,丸抱えして生かすということではなく,生きようとすることに手助けをするというものでしょう。生きることに助けが必要な人に対しては,寄り添って助けをつなぐことができることであり,やるべきことです。声で直接に助けてと聞こえなくても,寄り添って見守れば,困っている様子が見えてくることでしょう。そのときに手を差し伸べていくのです。
 間近に差し伸べられた手があれば,助けにつながる期待を掴み取ることができます。溺れる者は藁をも掴むといわれますが,民生委員の助けの手を掴んでもらうことができます。民の身近に寄り添いながら見守る人がいて,それとなく手を出してくれている,その手が助けにつながるのであれば,生きていくことができます。アウトリーチという言葉そのままに,手を差し伸べる民生委員がいてこそ,地域福祉は生きてくるのです。人は間がつながっているから,人間として生きていけるのです。

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(2025年05月04日:No.1310)