《楽しみは 人影ぼかし よしとして》

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 行楽地の賑わいが報道される際に,ほとんどすべての訪問者がスマホで撮影をする様子が見られます。それぞれに記念撮影をするのは普通の光景です。ところで,見栄えのする風景の撮影をする人たちの場面で,開場直後や閉場直前の人のいない瞬間を狙うということが起こっています。風景に見ず知らずの人の姿が入ることが極力避けられています。人の姿のない風景,それが美しいというのでしょうか。誰にも汚されていない風景というのでしょうか。私だけの風景が欲しいのでしょうか。
 行楽地となっている自然風景は,全く人の手が入っていない天然の自然ではありません。人に見せるためにわざわざ設えられた風景です。確かに風景を形作っている素材は自然のものかもしれませんが,風景として形作ったのは人なのです。きれいでしょう,そういって見てもらうために飾られている風景です。そこまで言ってしまっては身も蓋もありませんが,そのことの認識がどれほど抱かれているのでしょうか。
 全体イメージを捉える遠景に拘らなければ,人影の写りこみを避けることは難しくはないでしょう。それなのに,間近に見て触れ合うのではなく,離れたところから眺めるという自然観は,どこかよそよそしい感じが漂います。人を排除することは,実は自分を遠ざけているからでしょうか。なぜなら,撮影している自分は離れて映り込むことができないのです。自分がいない風景に他人が映り込むことは許せないということかもしれません。
 一方で,知らないうちに誰かの写真に写り込んでしまうことは,避けようとする社会的な意向もあります。写真がネット空間にアップされるようなことがあると,衆人の目に触れてしまい,プライバシーが侵害されることになるからです。写真に写る,写されるという他者との関わりは,相互の了解がないままに勝手にしたりされたりしてはいけないのです。
 写真が個人的な記録としてのものだけであった過去は過ぎ去って,ネット社会では皆と共有しようという写真も存在する状況になったのです。皆と共有したい写真だから,誰も写らない写真にする必要があるのかもしれません。その上さらに,撮影者自身が写真には存在しないし,匿名なのです。そういう曖昧な状況では,誰ともしれない人に,無断で写真を撮られたくはありません。
 ただ,行楽地などの公開された場所では,風景の中に人が映り込むことは避けられません。個人が特定できないように配慮をした上で,撮影されることも実際にはあり得ることです。状況に応じて,それぞれに判断をするしかないでしょう。

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(2025年05月18日:No.1312)