家庭の窓
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前号の末尾は,
【本を読む楽しさは言葉が描き出す多様な世界に触れることですが,それはアナログの世界です。言葉少ないディジタルの世界では,楽しむという幅は存在しません。人間関係がディジタルになってきたのは,言葉のディジタル化が進んでしまったせいでしょう。この辺りの考察はしばらく進めて整理してみようと思っています。】
としていました。
ここで,アナログとディジタルの確認をしておく必要をなんとなく感じていました。
巷間では,文系がアナログ,理系がディジタルと思われています。例えば,青の色を表現するときに,文系が道具にしている言葉では,青い,蒼い,碧いなどたくさんあって,それぞれ微妙に違っています。一方,理系が道具にしている数字では,三原色の青色は波長が435.8nmの単色光とされています。さらには,すべての光の色は赤・緑・青の混合で作り出せるということです。
ところが,ディジタルは,0か1の非連続的なもの,アナログは連続性をもったものであるという定義でいくと,理系の人間がよく使う物理法則や数式のほうが,連続した数値を扱い,論理的に物事の説明を積み上げていく連続性があるので,アナログ感があります。さらに文系の人間が使う言語の方が,物事をスパッと切る性質を持っているので,『言葉は断絶を生むことしかできない』としてディジタル感があるという意見もあるようです。
もう少し整理が必要です。「ディジタル」とは「連続するものを段階的に区切り、数字や記号で表現すること」を意味します。例として,ディジタル時計を見ると,連続する細かい時間を飛び飛びに区切って表示して,「正確さ・非連続・切れ目のある・部分」といった形になっています。「アナログ」とは「連続するものを物理量として表現すること」を意味します。「物理量」というのは「目に見える量」という意味です。例として,アナログ時計を見ると,連続する時間を動く針のような物理的なもので表現していますが,大まかな時間は分かりますが正確で具体的な数値は分かりません。そのため,アナログは,「曖昧さ・連続・切れ目のない・全体」といった形になっています。さらに,伝達の形で見ると,「ディジタル」=コンピュータ上で情報を伝達し,無機的,理性的であり,
「アナログ」=モノそのものを物理的に伝達し,有機的,感覚的となります。
物事を切り取るという点で,言葉はディジタルですが,曖昧で感覚的という面ではアナログということになります。さらに伝わり方の正確さから見ると,言葉は雑音が入り込みやすいという面でアナログとも言えます。そこで,冒頭に述べている「言葉のディジタル化」という表現は意味不明なものと言わざるを得なくなり,割愛することとします。善悪,正誤といった二項対立系の言語が頻出する状況を非連続性としてディジタルと見なした不適切な扱いでした。ディジタル,アナログという視点は排除し,言葉が切り取るものが曖昧さを含むということだけを改めて,見ていくことにします。
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