《冗談と 逃げた悪さは 苦い味》

 衣替えのときになると,連れ合いは腰回りがきつくなって着れなくなった洋服をため息交じりに眺めています。そのときは反省しきりですが,長続きしません。痩せる道筋の遠さにあきらめが先立つのでしょう。気が付いたときはもう手遅れといったことはよく経験することです。
 ところで健康とは身体に悪いところがないことですが,ないものは感じ取ることができません。ついつい不養生しがちです。一病息災と言われるように少しの悪いところがあれば気を付けられます。健康を保つ基本は具合が悪くなりかけたときに早めに手当をすること,つまり手遅れにならないことです。そのために痛みや不快感を感じ取るセンサーが人には備わっています。
 健康と一字違いの健全ということも同じように考えることができるでしょう。健全であるためには,小さな悪いことを悪いと感じ取る感性が求められます。例えば,道に百円玉が落ちています。拾って猫ばばをしたら恐らく後ろめたさを感じるでしょう。そのような悪へのセンサーを持つことが健全さのコツだと思います。百円ぐらいとか誰も見ていないといった三分の理でセンサーの働きを止めてばかりいると,悪に麻痺し深入りしてやがて手遅れになります。
 子どもはおもしろがっていたずらという小悪をしでかしますが,相手が嫌がるときにいたずらにも程があるという歯止めも体験します。それが思いやりというものでしょう。冗談であれば何でも許されるといういじめの芽は,子どもが健全さから逸れ始めている兆しに思えます。
 
ホームページに戻ります Welcome to Bear's Home-Page (2000年4月16日号:No.2) 前号のコラムはこちらです 次号のコラムはこちらです