《キーワード ドウゾが生み出す 温かさ》

 子どもの学校の近くにオアシス運動の看板が立っていました。そのためでもありませんが,わが家では親子の間で日常のあいさつをきちんとすることを,目標の一つにしておりました。家では連れ合いがリーダーですから,子どもに何かしてやったときには必ず「ありがとうは」と迫っていて,やがてみんながありがとうと言わされるようになりました。
 ところがあるとき,私は家では「ありがとう」としか言っていないことに気が付きました。大きな子どもとして連れ合いの世話になっているばかりであったということです。ありがとうはしてもらったときの言葉ですから待っている言葉です。一方で連れ合いは何と言っているかというと,「どうぞ」です。世の中は持ちつ持たれつだと言われていますが,どうぞと言う人がいるからありがとうと言うことができます。ギブアンドテイクが社会における基本的な人間関係ですが,考えてみれば常にギブが先なのです。テイクを先にするのは鼠小僧のやり方であり,闇のルールになります。
 子どもは親の働く後ろ姿を見て育っていますが,それはどうぞと言っている姿です。親子が向き合って,子どもがいつも親にありがとうと言っているしつけ方では,子どもはテイクすることしか身につきません。親の後ろから親を見て親のまねをするようにし向けるしつけが無くなっているようです。
 プリーズとは相手を喜ばせるという意味です。家族がお互いに相手に喜んでもらおうとするとき,温かさが醸し出されます。みんながありがとうとしか言っていないなら,家族はつながりようがなくなります。社会人であるためには当然として,家庭で父親として夫としての処し方を振り返えるキーワードが見つかりました。連れ合いがありがとうと言えるように。

ホームページに戻ります Welcome to Bear's Home-Page (2000年4月23号:No.3) 前号のコラムはこちらです 次号のコラムはこちらです