《楽しみは 小さな命 見守って》

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 窓外の樹に蝉が群れて大合唱です。旬日ほどの生きる喜びの謳歌です。蝉はどう感じているか知るよしもありませんが,人は自分の思いを重ねて,生きるということを感じようとします。近くの合唱が一段落すると,遠くの合唱が背景として流れてきます。ぼんやりと耳を傾けていると,まるで掛け合いをしているようです。木の陰の先にある一枚の田んぼ,緑の稲の上数メートルの空間をトンボが群舞しています。飛ぶ棒,それがつづまってトンボになりました。人が見た目で勝手に名付けたので,トンボ自身は自分の名前など知らないでしょう。
 人が自然を見てあれこれ感慨にふけるとき,人の思いを勝手に投影しているだけで,自然の動植物は一切関知していません。たとえ思いこみではあっても,何となくつじつまが合っていて,感情移入ができるのは,生きるという本能が共通しているためです。生き物はすべて,個体の維持,種の保存,共生と闘争に彩られている基本形にしたがっています。人は自然と交流することで,自らの自然性に戻ることができます。
 朝に大合唱が聞こえてくると,連れ合いは「暑苦しい」という感想を漏らします。耳元で聞こえるような大音響は,テレビの音声をかき消すほどですので,その元気に圧倒されるのです。心地よい夏の風情を突き抜けていますが,その元気と健気さを受け止めてやろうと話しています。共存するとは,温かな気持ちで受け止めることをしないとできないのかもしれません。
 昼間は蝉たちは何処かにお出かけなのか,静かです。遠くからは鳴き声が漂ってきます。でも近くの樹から全くいなくなっているわけでもなく,数匹はおとなしく樹にとまっています。乱舞していたトンボも細い枝に仰向けにぶら下がるようにつかまっています。蝉やトンボの生態について全く不案内なので,どういう意図があるのか解釈できませんが,それぞれに生きていくためのスケジュールがあるのだろうと思っています。
 庭の芝生の上で,蝉が飛べなくてもがいています。のそのそと葉の上を動いているのを見かけると,手を貸してやりたくなります。でも,どうしてやればいいのか分からないので,そっと見守るだけにしています。蝉の世界に天国があるのかどうか知りませんが,精一杯生き抜くように願っています。生きている仲間として,袖振り合うのも多生の縁,気持ちを重ねてみるのも楽しいことです。

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(2007年08月05日号:No.384)