《とりあえず やってみてから 考える》

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 物事を考えて判断をするとき,立場や視野といった主体条件が結果を誘導します。車を駐めるとき,白線に沿って駐車するようにです。同じ事実も立場が違うと,逆の意味を付与されます。裁判における証拠や状況の判断が,検察側と弁護側とで逆転するようにです。人が考えるあらゆることについてまわる主体条件を想定しておくことが肝要です。条件が変われば結論も変わるのです。
 大きなテーマでいえば,原子力発電所が安全か危険かという判断は,絶対的な結論に至ることは不可能です。理論通りの条件の下では安全である,しかし想定以上の自然の猛威の前では危険があると,条件によって結論は逆転します。どのような条件を受け入れるか,それによって安全度,危険度が想定されます。但しそれも仮のものでしかありません。いわゆる想定外のことが条件変化を引き起こすからです。
 若い判断に対して老獪な判断があります。それは判断をする際の背景の広さ深さの違いです。どれほどの条件要素数を飲み込んでいるかということです。想定しておくべきことの多寡が経験の差に依ります。視野の広さとも言えます。単純な判断と複雑な判断,条件に応じた対応の数の違いです。あれやこれやに対処することができる判断は,条件をたくさん想定するから複雑になります。
 ところで,条件を考えすぎると,判断ができなくなります。人の処理できる容量は限られています。現段階ではここまで想定しておけばよいという思い切りが必要です。状況が変われば,そのときに考え直し変更するという余裕を持たせておくしかありません。現実的判断をするということです。100%という原則的判断を持ち込もうとすることがありますが,それは結論を出さないということでしかありません。1か月先の今日の天気が判断できないようにです。
 何か事をなそうとするとき,事の変化をあれこれ考えますが,条件の変化が起こるということは後回しになります。今のままの条件であれば,こうすると事がなると判断しますが,こうするとそれに対して条件の方も変わってくることがあります。人付き合いで,自分の都合で態度を変えると相手も変わってしまうというようにです。物事は必ず連動して変動していきます。その変動を見落としたとき,判断の不備を後悔することになります。変動が小さいとしてこの判断ができる,曖昧さを受容しなければ眠れません。

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(2012年04月08日号:No.628)