《よきものに 見放されてる 心地よさ》

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 繁華街を形作っている街に,この地方初という出店が続いています。海外の店もあります。地方版のテレビニュースで開店の様子や,人の流れについて紹介されています。どのような店なのかと聞き耳を立てることもなく,またかといった一過性のものと個人的にはみなしています。そのようにしつけられたと言った方がよいのかもしれません。
 大小あれやこれやのお店がオープンしますが,ほとんどすべてがおじさまを対象としてはいません。若いとか年配といった違いはあるにして,女性向けなのです。買い物をするのは女性というパターンが意図的に押しつけられてくるので,どうしてもこの身はお呼びでないという疎外感を感じてしまいます。そちらがそういうつもりなら,それでも一向に構いませんと,受け流していくしかありません。
 別にひがんでいるのではなく,実際的にショッピングを楽しむ趣味などは持ち合わせていないので,住んでいる世界が違うということで,気持ち的にはさばさばとしています。着るものや持ち物は必要なものだけあれば済んでいて,あれこれ日々のTPOに合わせるといった洒落っ気はなく,かろうじて春夏秋冬程度に合わせる程度のものが揃っていれば事足ります。そんな具合ですから,およそブランドものといったよいものを求めようという意欲もありません。つまり,お客としては全く歓迎されようのない者なのです。
 暮らしの中で,何かが要りようになったとき,手近なもので工夫して間に合わせてきました。例えば,モノを運ぶときに,それなりのバックを使わなければという気はなく,その辺にある紙バックで十分と思っています。用が足りればいいのです。
 このようないい加減さは,食べるものにも及んでいます。どちらかといえば魚より肉の方が好きですが,霜降りがいいとかいう気はありません。確かに硬い肉は苦手ですが,口のなかで溶けるといった好みはありません。美味しい肉を食べたことがないからかもしれませんが,空腹で食べているので,高級なものでなくても美味しく食べているつもりです。昔の王様よりもよいものを食べているのではとさえ思っています。
 戦後のモノの無い時代を原点としているので,若い人の感覚とはズレがあるということでしょうか。いわゆる贅沢に馴染めないのです。人が贅沢をしてもそれはそうですかというだけのことです。自分の生き方を思うままに決めているので,なんの不満もありません。ただし,人としての在り方は高級でありたいと思っています。高級が何かと問われると明確に応えられないかもしれませんが,少なくとも卑しく恥ずかしく卑劣ではないようにありたいと思い定めています。 

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(2012年04月22日号:No.630)