《半眼の 仏を真似て 自省する》

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 平凡社新書:武長脩行著「友だちいない」は"恥ずかしい"のか,という新書に目が留まり購入して,車の中での待ち時間のときに読んでみました。友だちがいないことを恥ずかしいと思っているという若者の傾向について聞かされていたので,ちょっと気になったからです。孤独を忌避すべきこととするのではなく,積極的に直面することによって,人としての成長につながるという趣旨のようです。孤独という時間があることによって,自省の機能が発揮され,自然体の生き方がもたらされると解き明かされます。
 違った形の展開ながら,同じ趣旨のことを言い続けてきたことを,改めて確認する読書になりました。そうそう,といううなずきを繰り返しながら,読んでいきました。それだけでは,読書をした甲斐がありません。何か新しい知見もあったはずです。最後のところに,引用された言葉がありました。考える際の指標として,記憶しておこうと思ったので,記録しておくことにします。
 フランスの思想家ルソーは,自分を愛する力を「自己愛」と「利己愛」の2つに分けて,自己愛はいいけれど利己愛はいけないと,語っています。
 最近,説明のときや話をする際に,似た言葉を並べて,その違いを際立たせることによって,伝えたいことを提示するという話法を多用しているので,この愛の対比に反応してしまいました。自己愛は自分自身を愛するという人間に本来備わっている自己保存能力であるけれど,利己愛は他人を蹴落としてまでも自分に利が来るように望むエゴであるという対比です。言葉の対比としては,己を利する愛に対して,己を自する愛という言い方ができないので,不完全なものですが,形式的なことは我慢しましょう。
 現代人が利己愛に陥っているのは文明のせいであるという展開を前提として,孤独力が発揮されると,文明の呪縛から解放されることが期待されています。自己愛を取り戻すためにも,友だちいないは恥ずかしいことではないという主張を受け止めました。
 自省,自制,自生,自立,自律,自愛など,自という字が絡む言葉をながめていると,折に触れて自と我の分離と融合という反応が人としての思考のベースであると語ってきたことを再確認させられます。自分と語り合うもう一人の自分,今後も,そういった同行二人を楽しんでいくつもりです。

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(2012年11月25日号:No.661)