《時間割 崩れた付けが 迫り来る》

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 時間がなし崩しに零れていくように思うことがあります。時が経つのに,何も起こらない,何も片付いていない,何も変わらないといった状況に気付いたとき,時間を失ったと感じてしまいます。ゆったりと時の流れを受け止めることもあるべきでしょうが,貧乏性というのでしょうか,何かが動いていないと落ち着かないのです。
 一つ身が拘束されて,他に身を置けないために,そちらの流れが滞って,処理すべき事柄が貯まっていきます。明日の時間が残務処理のために予約されていくと,本来の明日の時間が使用不能になるはずです。そこで,成すべきことをするための時間を肩代わりの当てることになります。曰く,寝る間も惜しんでということになります。
 不要不急の空いた時間,休養という再生のための時間さえ,何かで埋めなければ勿体ないという焦りが常態になると,無理を自覚のないままに積み重ねていきます。成すべきことの軽重を問い,成さないという決断も必要になります。
 仕事にかまけて家庭を顧みないという過ごし方が,企業戦士という人たちの姿であり,結果として居場所を失っていくという状況がありました。とりあえずこちらから先に,という選択を繰り返しているうちに,後回しにされたあちらは積もり積もって回復不能な域まで放置されるということです。あちら立ててればこちらが立たずという,切ない選択といえますが,選択責任は負わなければなりません。
 いわゆる仕事などの公的な生活と,家庭の維持などの私的な生活,それぞれの間での時間のやりくりはしないことが原則です。公的なことは公的な時間内でやりくりしてしまうという歯止めを掛けておくようにした方がよいようです。家族のために使う時間をつい無駄に思うようなことがあれば,要注意です。無駄という判断をすることは公的でないことの価値を認めない基準にとらわれているからです。
 時間の使い方は,今日一日に出来ることは片付けておく,やり残しが出たら一両日に片付ける,それでも繰り越したら1週間で区切る,そこまでが限度でしょう。つい面倒になって明日にしようと思う気の緩みが,時間を失うきっかけになります。そんな心がけを思い出しながら,現身は本当に忙しい思いをしています。

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(2012年11月18日号:No.660)