《自分との 違いを感じ 身構える》

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 夕食が終わり,後片付けの食器洗いが待っています。仕上げの水洗いをしていると,アレッという感覚になります。水が温いのです。間違えて温水を出してしまったのかと,確認してみましたが,確かに水が流れています。「水温む]というのは,春の季語であったなと思いだしてみながら,秋に水温むという手の感触を,不思議に感じています。水温むとは,「春になって、水の温かさを増してくること。それに伴って芽ぐんだ水草は成長し、水に棲む生きものは活発に動き始める」と解説されています。蕪村に,「水ぬるむ 頃や女の わたし守」(遺草)という句もあります。
 昨日までと水温が激変することはないでしょう。ならば,手の温度指標がずれたことになります。手が冷たくなったから,相対的に水が温んだと検知したようです。自分の変化は認識しないので,環境が変わったと思ってしまいます。そういえば,昔読んだジョークを思い出します。「どうして男の人って付き合っているうちに変わってしまうのかしら」と,若い女性がため息をつきます。それを聞いていた友達が言いました。「男の人が変わったのではなく,あなたの気持ちが変わっただけよ」。
 人が生きていくためには,自分にとって周りの環境がどういう状況であるかを検知する必要があります。あくまでも自分本位なのです。人が集まっている場での空調が,適温であるように調整されていても,暑いとか,冷えすぎると感じる人がいます。それぞれの人がどのような衣装をまとっているかという状況などの違いを含めて,一人ひとりの本位が千差万別であるということです。冷えを感じるのであれば一枚余分に着ていくという調整を自分に施さなければなりません。自分を周りに合わせることも必要です。
 水道の水が温んでいるなら,自分が冷えているシグナルであると解して,保温対策を講じるべきです。衣服の冬対策が迫られているという警告です。ところで,人と出会ったときの挨拶は季候の話になりますが,秋がなくなったという意味合いの言葉が交わされます。皆も暑い夏から突然に寒い冬への急変を感じているようです。過ごしやすい季節としての秋を体が馴染むほどの期間感じていないということでしょう。何となく気候の大きな変動というものに気付かされているようです。

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(2013年11月17日号:No.712)