《一文は 読み手の色に 染まりゆき》

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 紀元2世紀のローマ帝国の皇帝であったマルクス・アウレーリウスが,人生全般において持つべき基本的な姿勢・心構えについて,書き記しています。部分的に切り取ってしまうと,著者の連想を断ち切ることになるので,文意がずれてしまうことを納得の上で,読み手の連想の中に取り込んでしまうことも,著作を読む楽しみです。

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 かかる者が生きるにさいし,そのもっとも偉大な点といえるのは,ものごとを追いも避けもせず済ますということであろう。

 何かするときいやいやながらするな,利己的な気持からするな,無思慮にするな,心にさからってするな。

 されば,人生において,わずかなことのみを身に確保し,自余のことはすべて放下すべし。なお,あわせて以下のことを心に銘記せよ。ひとはすべて,現在の,この束の間ともいうべき生のみを生きるものであることを。それ以外は,すでに生き終えてしまったこと,ないしは,いまだ明らかならぬ不確定のことである。

 いかなる行動をもでたらめにおこなうな。技術の完璧を保証する法則に従わずにはおこなうな。

 全ては宇宙の自然に従って起きる。

 「私は今自分の魂をなんのために用いているか。」ことごとにこの質問を自分にたずねよ。

 過ちは他人の犯したものである。

 ただつぎの一事に楽しみとやすらいとを見出せ。それはつねに神を思いつつ公益的な行為から公益的な行為へと移りゆくことである。

 すべて起こってくることは,いつでもそのように起こったのだし,将来も起こるだろうし,現在も至るところで起こっている。

 もしある人が私の考えや行動がまちがっているということを証明し納得させてくれることができるならば、私はよろこんでそれらを正そう。

 すべては主観に過ぎない。

 理性的動物にとっては,同一の行動が同時に自然にかなったものであり,理性にかなったものなのである。

 あたかも君がすでに死んだ人間であるかのように,現在の瞬間が君の生涯の終局であるかのように,自然に従って余生をすごさなくてはならない。

 目前の事柄,行動,信念,または意味されるところのものに注意を向けよ。

 各自が生きるのは現在であり,失うのも現在のみである。

 行動においては杜撰になるな。会話においては混乱するな。思想においては迷うな。魂においてはまったく自己に集中してしまうこともなく,さりとて外に飛散してしまうこともないようにせよ。人生においては余裕を失うな。

 働け,みじめな者としてではなく,人に憐れまれたり感心されたりしたい者としてでもなく働け。ただ一事を志せ,社会的理性の命ずるがままにあるいは行動し,あるいは行動せぬことを。

 君の仕事はなにか。「善き人間であること。」
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 今の自分に素直に入ってくる言葉がある一方で,なにかしら引っかかってしまう言葉があります。おそらく,後で読み返すときには,入れ替わりが起こっていることでしょう。だからこそ,著作はときを置いて繰り返し読む必要があるのです。

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(2013年11月24日号:No.713)