《本当の 知恵を生み出す 昼と夜》

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 人はあれこれ見聞きする中で刺激を受けます。そのたくさんの刺激を就寝中に整理統合して記憶しているのだそうです。そのプロセスの中で,夢を見るのかもしれません。ものを整理する際にはいったん全部を引き出しますが,それはごちゃごちゃな状態になることです。夢が全く支離滅裂なイメージになるのは,そういうごちゃごちゃの断片を垣間見ているのでしょう。
 整理がある程度進んでくると,連結の可能性があれこれ出てくるでしょう。どこが最もふさわしい納めどころかを試すときに,新しい発想が出現することもあり得ます。アルキメデスが叫んだエウレカ(=「私は見つけた」「分かったぞ」「解けた」程度の意味)となります。
 就寝中に目覚めたときに,まどろみの中でなんとなくあれこれ思い巡らしていると,我ながら面白いという発想に遭遇します。ところが,目覚めて起床後,何であったか思い出せなくなっています。何か思いついたということは覚えているのですが,その内容を引き出せなくなっているのです。もどかしさを感じています。枕元にメモ用紙をおいていて,すぐに書き留めるという哲学者がいました。ただ,起床後に再見すると,たいした思いつきではなかったものもあるという述懐であったと覚えています。
 悩み事は夜考えると深みに入るので,日が昇っている明るいところで考えるように勧められます。外部刺激がない状況では,記憶の整理が始まり,論理機能がいったん停止されているために,あり得ない結びつきが起こって,発想が滅入ることになりやすいのでしょう。ところが,目覚めていると理性がフル稼働しているので,悩み事に対する判断が妥当なものとなるということと思われます。
 幻想的という言葉は,暗闇と結びつきます。暗闇のように外界からの刺激が少なくなると,人の思考回路は論理的な機能をフル稼働から解除し,そのために幻想という不自然さが紛れ込みやすくなるのでしょう。昼と夜の顔が違うということがありますが,昼と夜の頭が違うということも想定すべきです。

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(2014年12月28日号:No.770)