家庭の窓
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このところ,傍迷惑な人に関する著作が現れているような気がします。書店で並んでいる本を眺めている,いたって個人的な目に止まります。個性を大事にという傾向の中で,常日頃世間が自分本位な振る舞いに満ちていると感じていた下地があったせいでしょう。数冊をひもとくと,思い通りの展開が記されていました。
警察庁の発表の中にとても驚く内容のものがありました。殺人事件の被害者と加害者の関係が親族である割合が50%を越えているということです。親子,きょうだい,夫婦という結びつきは,支えあう間柄の基本であったはずです。それが,もっとも酷い仕打ちを産む間柄になっているとは想定外でした。そのデータを突きつけられたとき,密かに危惧していたことが,こんなに早く実態として形になったことに驚かされました。
ネット社会が人の関係を激変させてしまいました。いわゆる人とのつながりの低下,切断してしまったのです。最も大きな要因は,匿名性です。住所姓名不詳という,どこの馬の骨か分からない者同士がつながっていても,それは相手を意識しようのない,自分本位の社会でしかありません。交わされる言葉は対話でなく,捨て台詞と化します。それぞれが勝手に放言し,なんとなく「そうだ」と言い合って,いかにもつながっているような錯覚に浸っているようです。錯覚を裏返しに勘違いすると,勝手に悪意と思い込みます。
テレビで小さな実験をやっていました。女子の間でよく使われる「カワイイ」という言葉を封じたら,会話がどうなるかという実験です。先ずは普通に会話をしてもらいます。誰かが何かを取りだして見せると,みんながカワイイといって話が弾んでいるようです。次に,カワイイを封じると,同じ状況で,言葉が出てこなくて,会話が萎んでしまいました。カワイイという言葉はその意味よりも,同感という合言葉でしかなく,対話になっていないのです。場の空気の確認で終わっているのです。お互いに分かり合うという対話はなされていないということが明らかになった実験でした。
個人情報の保護が進んで,人のつながりが結べなくなりました。どこの誰それという人を特定する基本情報が封じられたら,人のつながりは成り立ちません。個人情報があからさまに行き来していない社会とは,人の社会ではありません。秘されるから,わずかな個人情報が悪用されます。暗唱番号,パスワードだけで人を特定している安易な社会が,人のつながりを無機質化していることに気付かなくてはなりません。
個人情報の保護が人の結びつきの邪魔をしているという素直な感想が,何を見抜いているのか,早く解き明かすべきです。人の機械化は御免です。
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