《安らぎは 孤独楽しみ 友がいて》

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 ランチメイト症候群というものがあるそうです。職場や学校で一人で食事をすること,一緒に食事を摂る相手がいないことに恐れを懐くものです。どうしても食事を一緒に摂る相手が見つからずに,一人で食べる羽目に陥ると,周りの人に一人でいる様子を見られないように,人目に付かない場所を選ぶこともあるそうです。
 一人であると寂しいという気持ちは分からないでもないですが,一人であってもどうということもないし,ましてや人に見られようが何の痛痒も感じない者には,普通ではないと思われます。だから,症候群という名付けがされているのでしょう。
 一人で食べていると,周りの誰かが一緒に食べようと言ってくれるはずなのに,その声をかけて貰えないという現実が怖いのでしょうか? 誰からも構って貰えない惨めな自分,そういう感じなのでしょうか?
 一人でいいではないですか? 誰かと一緒という状況では,相手に気を遣わなければならないので,窮屈です。無理に合わせないといけないこともあり,不本意な思いをします。食事の時くらい,一人の気楽さ,自由さを満喫すればいいのです。そうでなくても,皆と一緒に暮らしていく気苦労をしているのですから。
 若い人たちは,誰かと一緒にいるということに異常に拘っているように感じます。誰かとつながっていないと不安である,誰かとつながっている自分を自分の存在と思わせられています。確かに人は社会という中で生きています。人と関わっているという居場所が生きている条件です。ただそれは四六時中連んでいるということではありません。一人ひとりが自立して孤独であることを確立した上で,他者と関わって協働するという形です。違った者同士の連携によって社会は維持されています。
 若者のつながりは,ただくっついているというノリにすぎないのでしょう。自己という存在を持つことができずに,誰かにくっついていることでしか自分を感じないといった,とてもあやふやな自分を不安に思っているのかもしれません。胸を張って堂々と立ち上がって欲しいと思います。一人で生まれてきて,一人で死んでいく,人は孤独な存在です。その孤独をまっすぐに受け止めているから,周りの人を気遣う優しさが湧いてきて,共に生きていく願いがつながるのです。

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(2016年11月13日号:No.868)