《安らぎは 生きるよろこび 感じつつ》

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 国立青少年教育振興機構が,平成27年に,20代から30代の男女4000人を対象に,子育て観などについて調査をしました。子どもがいない20代の男女で,「子どもは欲しくない」との答が21.9%にのぼり,7年前の調査の11.1%から倍増したということです。機構は,理由については「今後,分析する」として,「少子化がますます進むという実感」と話しています。
 子どもが欲しい,という言い方をすることに危惧を感じるべきです。個人が子どもという命の存在を欲しいとか欲しくないと表現していることが,命の尊厳をないがしろにしていることになります。一つの命は,太古から受け継がれてきて,これからも連綿と生き延びていきます。受け継いだ命を,子どもに受け渡さないとすれば,途方もなくさかのぼっていける命を滅亡させることになります。子どもは命であるという認識が薄くなっています。
 地域で子どもの施設が建てられようとすると,うるさいという声が出て反対されることがあります。子どもの声をうるさいと感じるのは,生きるという喜びへの感受性を鈍らせているからです。子どもの声もしなくなった地域は,さみしい,寂れているというのが人としての感性であったはずです。ところが,命への共感が退化し,自らの孤独な命にとらわれているために,他の命との触れ合いが痛みに変質しています。乾いた感性には子どもの旺盛な命は刺激が強すぎるということなのでしょう。
 子どもを授かることによって,人としてワンランクアップの成長が期待されているのですが,それは経験しないと見えてきません。周りの人との暮らしの中で,子どもの親になった人はどことなく落ち着きが備わってくることを見て取って欲しいものです。見た目には子どもの存在は重荷に見えてしまいますが,担っている親は生きる励みを受け取っています。ただし,その感性が開花していないと,子どもが邪魔となって,排除するようになります。
 「子どもは欲しくない」という感性では,生きる喜びはかなり割引されていることでしょう。ものの豊かさにはありつけるでしょうが,こころの豊かさには辿り着くことがないでしょう。自分が生きた証として最も確実なことは,自分の子どもを残していくことであると気がついてほしいものです。命を受け継いだ者の責務なのです。もちろん,子どもが欲しくても授からない人については,違った形の命への関わり方があるはずです。
 このところ,命の軽視が感じられます。ムシャクシャして刺した,遺体をばらばらにした,よそ見をして事故を起こしたなど,人の命を大事にという覚悟を失っている状況は,子どもは欲しくないという思いとつながっていると考えるべきです。青少年教育が何を教えてこなかったか,深く反省しなければ,手遅れになりそうです。

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(2016年11月06日号:No.867)