《安らぎは 危険なときに 意識無く》

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 ボランティア活動の一環として,仲間と共に地域の夜回りをしています。そのコースに神社の参道があります。金曜日の夜回りの際に,躓いて倒れ怪我をしてしまいました。左眉毛の上部を切り,右手薬指の先左側の表皮がはがれ,右足膝の擦り傷という損傷です。直後は左眉上と右手から血液がポタポタとしたたる状況で,仲間からタオル地のハンカチを拝借して,帰路につきました。
 傷口を水洗いして,連れ合いに備えの絆創膏を張ってもらいました。ズキズキした痛みを3箇所から受けて,普段の動きを封じられてしまいました。幸いなことに,血液は絆創膏を塗らしましたが,あふれてくることはなく,止血してくれました。
 参道のコンクリート舗装がひび割れなどで劣化していたかすかな突起に躓いてしまったようです。これまでには,例えばスーパーマーケットの磨かれた床で,滑り止めにつかまったように靴が引っかかって身体がのめることはありましたが,倒れるまではありませんでした。足が上がっていないことは何となく認知していました。
 今回は,躓いたと感じたと同時に,左眉の上を地面のコンクリートに打ち付けていました。何が起こったのか一瞬頭の中が空白になっていました。「こけたんだ」「痛いな」「起き上がらなければ」。ゆっくりと認識が追いついてくるようでした。足の動きが躓いて,身体が倒れていく間の記憶・認識が無いのです。倒れていく自分を認識していれば,手で支えなければと,それなりの態勢を取るはずですが,全く記憶がありません。
 左手親指の付け根が打ち身のように痛んでいるので,支えようと手をついたようです。しかし,間に合わずというのか,頭の重さで振れが大きかったのか,地面に激突したようです。危険な状況に陥っている自分の身体を,自分が認識していない空白があるということを,思い知りました。自分の感覚は認知するまでにタイムラグがあるということです。危ないと思ったときは,危ないことは既に終わっているということです。必ずしも,老いのせいでは無いようです。
 数日の間,顔に絆創膏を貼っているので,「どうしたのか?」と問われることもありました。連れ合いは「夫婦げんか?」と思われるかもと笑っていましたが,冗談でそのように言ってくる人もいました。顔の絆創膏は夫婦げんか,という定番の冗談は健在のようです。
 参道の転んだ箇所は,誰かの手を煩わせたようで,早速突起を無くして簡易的に補修されていました。当日同行していた仲間が伝えたようです。転けて怪我をしたことが広まってしまったようです。「転けてしまいました」と,笑っています。

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(2016年11月27日号:No.870)