《安らぎは 人に向かって 話しかけ》

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 復興相の更迭が紙上を賑わしています。手元の新聞を開いてみると,

 東日本大震災が「まだ東北で,あっちの方だったからよかった。首都圏に近かったりすると莫大な,甚大な被害があった」などと述べた。・・・甚大な被害を出した大震災を一体どう認識しているのか。復興の先頭に立つべき復興相ではないか。「東北で良かった」とは口が裂けても言えない言葉だ。もはや国会議員としての資質も疑わざるをえない。(社説の一部)

 不適切な発言が続いているようです。マスコミで,そのことを咎めることは初動としてはいいのですが,このように続いていることをどのように考えて,どのように防いでいけばいいのか,踏み込んでほしいものです。いい年をした大人がちゃんとした発言をできないのは,分けがあるはずです。そのことをきちんと考えないと,不適切発言を咎めるしかできない所から抜け出すことができません。お互い様では,悲しくなります。
 データや膨大な文書からなる情報世界に馴染んでいると,視聴覚だけの人に収縮します。データにつながるはずの生身の人に触れあうことがないので,温もりのある言葉が使用不能になってしまっています。コンピュータが発する言説であれば,問題にならなかったでしょうが,人が発する言葉ではないということです。東北だから良かったという言葉,そこに人の思いは皆無です。
 情報社会でしか言葉を使っていない,それがどれほど危ないことであるのか,自覚をしなければなりません。話を飛び火すれば,子どものネットいじめも同じ背景があります。書き込みされる言葉が人と触れあっていないのに,触れあっている言葉と受け取られると,いじめに変わります。人と人との気持ちを交わすために言葉があるということを忘れて,言葉を人に向けずに放り出すという使い方を正さなくてはなりません。言葉の使い方が二極化しているのです。言葉遣いの格差という視点を採用すると,少しは見えてくるようです。

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(2017年04月30日号:No.892)