《安らぎは 人の災い 黙祷し》

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 先週号に続いて・・・。「まだ東北で,あっちの方だったから良かった」。この言い方が東北の被災地を傷つけたとして,問題になりました。社会面のコラムで似た表現を使ったと記者が告白していました。

 福島第1原発事故の8カ月後,デスク日記の冒頭に「東京電力でまだよかった」と書いた。本社の出稿デスクから手直しを求められ「まだ」を加えた記憶がある。伝えたかったのは,電力業界でも規模が突出する東電だから想定外の原発事故に何とか対応できたが,別の会社だったら同じように対応できたとは限らない,という問題意識だ。・・・思いを伝える難しさをかみしめている。

 この記事を読みながら,小さな反省を思い出しました。秋のイベントの挨拶の中で,折しも接近していた台風が予想進路をずらして逸れたので,「幸いなことに台風が逸れて・・・」という言い出しを思いついたのですが,止めました。逸れて幸いと言えば,直撃したところの人には申し訳ないと思ったからです。災いが自分ではなく他人に降りかかったことを幸いという一瞬の無神経さを振り払いました。
 日々のマスコミ情報は,事故や事件や災害の被害者のことを伝えてくれます。我が事ではなく他人事なので,そういう災いは珍しくはないと思っている一方で,まさか自分には降りかかっては来ないと高をくくっています。自分とは全くつながりのない災いが他人に降りかかっても痛みを感じることはありません。自分と関わりがないので,自分でなくてよかったとか,あの人だからよかったということなど感じることもありません。気の毒に,という思いを抱くのが普通でしょう。
 自分が大事であることは当然のことで,それはお互い様ですが,それでも,他者の災いを「よかった」と思う自分ではないようにしたいものです。

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(2017年05月07日号:No.893)