《喜びは 自分を見つめ 書き出して》

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 慣れというのは怖いものです。まずは,世間での慣れに対する把握がどうなっているのかを知りたくて,ネット検索をしてみました。「月刊朝礼」というサイトに届きました。以下は転載です。
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 慣れは,怠惰や思い上がりの気持ちを起こし,失敗につながる一里塚です。新入社員のころは丁寧に行っていた仕事も,時間の経過とともに疎かになっていませんか。今一度,初心を思い出して,慎重に取り組みましょう。
 「身につまされる内容でした。たとえば自動車の運転も,免許を取ったばかりのころは,あらゆることに注意をし,慎重に行いますが,慣れてくると安全確認を怠ったり,スピードを出し過ぎたりして,大きな事故を起こしてしまうものです。仕事も,慣れてきたときほど,安易に取り組んでしまい,大きなミスを起こしてしまいます。もう一度,基本に立ち返り,手順に従って,丁寧に行うように心掛けます」
 「仕事では,限られた時間内にさまざまな業務をこなさなければいけないため,慣れによるスピードアップや効率化は必要です。しかし一方で,慣れは手を抜くことにつながる恐れがあります。あの仕事は簡単なので適当にすればよいとか,あの人はよく会うので急いで伝えなくてよいなど,慣れからくる手抜きは,仕事の完成度や態度に表れます。日々,あらゆることに,きちんと誠実に対応することが大切だと感じました」
 「先輩は几帳面な人で,どんなに慣れている仕事でも,きちんと手順に沿って実施していきます。たとえ急いでいるときであっても,入念に手順通りに確認を行います。理由を聞くと,以前,手を抜いたばかりに大きな失敗を起こし,その後処理にとても苦労したためだといいます。先輩を見習って,簡単な業務でも手を抜かないようにしようと思いました」
 慣れるということは,経験を積み,習熟してくることでもあるので,悪いことではありません。しかし,慣れることで油断が生まれることがあります。そうすると小さなミスや問題点に気づきにくくなるのです。作家の芥川龍之介は,どんなに短い講演会にも,一言一句間違いがないように,分厚い書物を持って臨んだといいます。どのような状況でも十分な準備をした姿勢は見習うべきです。慣れてきたと思うときこそ,「これくらい大丈夫」ではなく「ミスをするかもしれないぞ」と思い,気を引き締めて取り組むことが大切です。
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 初心に返るという戒めには,慣れに対する注意も含まれているでしょう。今この言葉を自戒として思い出しているのは,最近の不祥事の報道を,人の振り見て我が振り直せと受け止めてしまうからです。アメリカンフットボールの危険タックル,ボクシングの団体,体操の団体におけるパワハラ,さらには公機関の障害者雇用の水増し。いずれも厳密さ・公明さ等の判断基準の適用における慣れによる曖昧さが露呈しています。拡大解釈といういい加減さも慣れによるものです。
 また,社会的立場の軽重による威圧を利用した成り行きがハラスメントとなりますが,それも立場の力に対する慣れによる無神経さが招きます。暮らしや仕事の場面では,いろいろな指針が採用されています。こうすべきである,した方がいいということは,裏表になっているものです。過ぎたるは及ばざるがごとし,です。中庸といいますが,ほどほどが良いようです。慣れることは熟練という良さがある一面で,慣れることで見落とし疎かになるものもあるということです。
 順調なときにこそ足をすくわれるものです。今の状況に慣れると油断して,想定外のことに遭遇します。天災は忘れた頃にやってくるものです。交通事故に遭うのは,住み慣れたところが多いということです。慣れるから安心しすぎて油断をします。話はあちこちに飛んでいきますが,殺人事件の犯人の過半数が親族というのも,慣れた間柄にこそ不都合さが紛れ込むということを示しています。生活習慣病というのも,慣れた暮らしが原因になっているということです。
 自分の日常を振り返るという時間を持つことが大事です。安穏を貪っていないか,自分に向き合う時間は自分で作り出さないと,外部から思い知らされたときは手遅れです。このテキストを書き出しながら,自らを省みる時間を過ごしています。

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(2018年09月02号:No.962)