《喜びは 言葉の意味を リフレッシュ》

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 本を読むと学ぶことに出会います。「そうか!」という心地よい驚きに見舞われます。何もないところに新しい知見が訪れても,驚きはありません。そういうものですかと受け止めるだけです。しかし,なぜだろう,どうしてだろうという疑問を持っていて,そこに触れる知見がやってきたら,「そういうことか」とほっとする感情に包まれます。いわゆる学びの醍醐味がそこにあります。予習をして知りたい疑問を見つけることで,学びのプロセスが中途まで進んでいるのです。
 大人になるにつれて,知見は増えていきます。努めて関心を広げようとしない限り,初めて出会う事柄が少なくなります。大抵のことは分かっていると思っています。だからこそ,ソクラテスの無知を知るという気付きが,深い学びへのキーワードになります。
 「上から目線」ということについて触れている文章に出会いました。ある方が上から目線の物言いをするので嫌われているという状況が,取り上げられています。普通には,上から目線で他に向ける言葉は,ダメ出しです。こんなことも分からないのか? こんなことしかできないのか? 見下されるのは,誰しも嫌です。他を責める物言いが,自らをそうではないと思い込みたい欲に染まっています。
 ところで,功成り名遂げた方が,時に,上から目線の言葉遣いをします。相当の努力をしたという自負を持っていることから,他の方々が努力をしないことを歯がゆく思って,つい「べき論」を持ち出すことになります。名選手は必ずしも名監督ではない,という言葉が思い出されます。いわゆるできる人が求めることは,普通の人には無理なこともあるということです。
 手にした本,黒川伊保子著「成熟脳」(新潮文庫)で出会ったのは,次の文章です。

 べき論を言い募るリーダーに「上から目線」を止めろと言っても,埒が明かない。人を上からなんか見たことがないんだもの。「一度,本物の上から目線になってください。国民は,愚かで守ってあげなくてはいけない存在だと思うのです」とアドバイスした。・・・。

 べき論を持ち出さずに済む世の中は理想でしかありません。実世界はべき論的には不完全ですが,それでも,大方の人はなんとか努力をしています。その健気さを認めていくこと,それが本物の上から目線ということです。世の中の不備に気がついている人が,気付かない人を守ろうとすること,それが上から目線を持つ人に期待されていることです。
 「上から目線」という言葉から想起されることが嫌みな物言いという段階が,これまでの理解でした。本の一節に出ていた本物の上から目線という指摘に出会い,親が子どもを観る上から目線を思い出しました。人にダメ出しをするのではなく,愛おしく思い,守っていこうとする上から目線がありました。上から目線という言葉の理解が一つ進んだという感慨を経験しました。

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(2018年08月26号:No.961)