*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【足して2で割る?】


 小学生のころに読んだ「ああ無情」という小説が,すっきりしないままに心に残っています。貧しい主人公ジャンバルジャンが空腹のあまりパン屋の店先からパンを盗み,以後追われる身になります。生きるためにやむにやまれない行為であり,同情できるのですが,法は窃盗行為を禁じています。ジャンには生きる権利があります。一方で,パン屋にも商売をして生きていく権利があります。権利だけを考えると五分五分ですが,法はジャンの権利行使を封じています。法は弱者の味方であると教えられていたのに,かわいそうな立場にあるジャンの味方をしていません。そのことをどう納得すればいいのか,子どもには分かりませんでした。
 もちろん,ジャンの生きる権利をすべて封止しているのではなく,他者の権利を侵すような手段によることを禁止しているだけです。人権の擁護を考える場合,パン屋に対する権利の侵害が起こったときに,それを以後止めさせるためにジャンに対して指導をするといった対処が求められます。ところで,ジャンの生きる権利を擁護するための,盗みをしないで済むような擁護もあり得るはずです。すなわち,事前の支援ができていれば,パン屋に対する権利の侵害はなかったはずです。事後の擁護だけではなく,事前の擁護が大事になります。
 法の世界に有名なカルネアデスの板という話があります。船が難破をしました。一人の乗客が板きれにつかまって海の上を漂っています。そこにもう一人の乗客が近づいてきて板きれにつかまろうとします。ところが,小さな板きれは二人の重さには耐えられずに沈みます。そこで先につかまっていた人が後から来た人を追い払います。生きようとする権利が衝突します。法は正当防衛として排除行為を認めています。
 ある法学者がこの問題を考えているとき,そばにいた小学生の孫娘に「あなただったらどうする」と尋ねました。しばらく考えていた孫娘は「私だったら交代で立ち泳ぎをする」と答えたそうです。自分と相手の権利を生かす方法をあっさりと考え出しました。
 権利について考える場合,法はイエスかノーかを決める手段です。実際には割り切れない状況を一刀両断せざるを得ないという苦肉の手段です。そこでは,切り捨てる部分が出てきます。情状酌量という判断につながります。法の運用の難しさなのでしょう。それはそれとして,一般社会で起こるトラブル段階の権利問題では,割り引きされた権利というものを持ち込むことが知恵になります。痛み分けという形,あるいは有名な三方一両損という大岡裁きの導入です。
 もちろん,庶民的な知恵が万能ではありません。法による厳格な判定も大事です。いろんな解決の仕方がある方がいいということです。法の下の平等という原則を実現するためには,当事者が何らかの形で納得できるような解決が求められているからです。ぎりぎりの線が50%の権利になるのではないかと思っています。
(2007年03月27日)