*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【生きることは苦?】


 人には4つの苦があると聞きます。四苦八苦と数えられます。四苦とは生老病死です。普通に考えて病死は苦です。老は衰えというイメージで苦ですが,長寿社会では昔ほど苦ではなくなっているのかもしれません。最初に挙げられている生は他のものと並べられると場違いな感じがしないでもありません。生きることは素晴らしいことという明るいイメージがあるからです。なぜ生が苦なのか,凡夫は立ち止まります。
 人が生きていく上で大事な衣食住,中でも食は日々の充足が必至です。飢えという苦が背後に迫っています。貧しい時代といえば飢えの時代です。そこでは生は苦になるはずです。飢えの心配がない今,生を苦にする大きな要因が封じ込められました。
 結婚式での仲人の口上に「若い二人の行く末には幾多の山や谷があることでしょう」という句が出てきます。生には山谷があるという経験知ですが,その谷が苦になるのでしょうか? 生きるためにしている労働を苦ととらえる考え方もあります。ただ普通には誰しも苦労して生きているのですから,やはり生は何となく苦と思われているようです。しかしながら一方で,端(ハタ)を楽(ラク)にすることが働くことと考えて,働く喜びというものを見つけることもできます。苦あれば楽ありという言葉もあります。欲望も含めて思い通りに生きようとすると,そうは問屋が卸さない世間での生は苦という波乱含みです。
 人は生きる権利を持ち,社会はそれを保障する責務を負っています。ところでよくよく考えると,人はその社会の一員でもあります。自分の権利と同時に他者の権利も想定し尊重しなければなりません。そこでは自他の権利が競合することもあります。他者の権利が自分の権利を侵すことになりますが,立場を変えれば他者の権利を侵していることになります。これは負の思考です。
 権利が他者と競合したとき,それぞれの権利がどの程度認められるかと見積もるのが正の思考です。法の世界では和解とか話し合いという解決策になります。100%ではないから嫌だと拒否するか,0%でないからまあいいかと受け入れるか,二つの正負の選択があります。もちろん,法的な裁定にゆだねるべき競合はそれとして,どちらが苦となるかという尺度を用いてみるのもいいかもしれません。
 生きることが苦であるということから逃れるには,こだわりを捨てて,許すという他者への愛を持つようにしては,と古人からのメッセージがあります。悟りと呼ばれる胸中に到達しきれないまでも,そこに向かい続ける努力をしている間は,なにほどかの救いがあるような気がします。
(2007年04月05日)