*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

人権メモの目次に戻ります

【言葉ありき?】


 糸瓜をご存じですか。いとうりと言っているうちに「い」の音が聞き逃されて「とうり」となりました。ところで,かなを覚えるのに「いろはにほへとちり・・・」と並べることが普通ですが,その中でとうりの「と」は「へ」と「ち」の間にあるので,へち間としゃれて言われるようになりました。糸瓜はヘチマのことなのです。ちなみに,しゃれとはさらすという言葉から変化したもので,さらすと白くなるという意味合いがあります。おしゃれも化粧して白くなりますし,しゃれこうべも洗いさらされて白くなった頭ということになります。
 言葉を覚え始めの子どもたちに黄色の蝶を見せておき,つぎにその蝶をほかの色とりどりの蝶の中に紛れ込ませます。「さっき見せた蝶はどれかな?」と指差しで答えさせると,見つける子どもと見つけられない子どもが出てきます。二つのグループに分かれてしまうわけは,黄色という言葉を知っているか知らないかということでした。始めに見た蝶を「黄色の蝶」と認識できた子どもは難なく見つけることができますが,黄色という言葉を知らない子どもは蝶としか認識できないので区別できなくなります。
 言葉を知らないと見ていても見えていないのです。物事をきちんと認識するためには,言葉というレッテルを持ち合わせていなければなりません。言葉は物事を見極める物差しになります。恋という言葉を知ることで,もやもやした切ない思いが把握できるようになります。セクハラという言葉を知ることで,見えていなかったことが見えるようになりました。差別という言葉を知ることで,見過ごしていたことが見えてきました。
 人権啓発は人権という言葉を知ってもらうことが最初の段階になります。ところで,地域での啓発として人権の学習会が開かれると,他のテーマの場合と比べて出席が芳しくありません。人権という言葉が何となく重たく感じられているようであり,さらにかなり抽象的な概念なので分かりづらいという側面もあります。手元の国語辞典を開くと,人権とは人間に当然与えられるとされる権利と書かれています。これではどういうことか分かりません。一方で,自分の思い通りにならない事態はすべて人権侵害であるということにもなり得ます。
 個々の具体的な普段着の言葉に翻訳しなければ用をなしません。人権を守るためには,侵害に至る動きを止めなければなりません。どうすればいいのでしょう。交通信号を参考にしましょう。赤信号を見てから止まっていたのでは,手遅れになります。急には止まれないからです。注意信号である事前の黄色信号が必要です。黄色でブレーキをかけるようにしていれば,赤信号の手前できちんと止まることができます。
 暮らしの中でしてはいけないこと,暮らしの赤信号が法律で定められています。しかし,普通の人は法律の条文を読んで知っているということはありません。それでも何とかこともなく暮らしていけるのは,黄色信号に従っているからです。暮らしの黄色信号,それは「迷惑をかけない」という自制です。法律の具体的な禁止事項をいちいち知っていなくても,とりあえず迷惑をかけないという一つの物差しがあれば,大方の社会生活は大丈夫です。
 人権侵害を食い止めるという面でも,侵害に至る前の黄色信号を設けることが実用的です。ある講演会で,人権問題の多くは相手に対して「〜のくせに」と思うことから始まると聞きました。女のくせに,平のくせに,田舎者のくせに,嫁のくせに,よそ者のくせに,障害者のくせに,いろんなパターンが思いつくのも悲しいことです。このような自己チェックも一つの黄色カードになります。
 信号には青信号もあります。人権を侵さないという歯止めのほかに,守るという意識も必要になります。その意識化のために人権擁護委員組織の啓発目標に選ばれている言葉が「思いやり」です。思いやりという言葉は,至極当たり前の善に向かう言葉です。そのために,人権とのつながりが間接的になり,人権擁護というニュアンスが薄く,本筋を外しているのではという危惧もあります。次善の選択ということであり,方便として認めざるを得ないでしょう。

(2008年07月16日)