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【言葉を受け継ぐ?】
11世紀後半にフランスに定住していたノルマン人がイングランドを征服しました。ノルマン朝ではフランス人がイングランドの先住民サクソン人を支配していました。家畜を育てているサクソン人は牛をサクソン語で「カウ」と呼び,料理された牛肉を主人であるフランス人はフランス語で「ビーフ」と呼んでいました。呼び名の変化は占領の名残というわけです。受け継いでいる言葉には,先人が歴史の中で生きてきた喜怒哀楽の歩みが込められています。
フランスの人権宣言に自由,平等,博愛という理念が掲げられているといわれます。自由である権利,平等である権利というのは想定できます。ところで,博愛(すべての人を等しく愛すること)である権利というのはあるのでしょうか?
人権宣言を見てみます。第1条(自由・権利の平等)に「人は,自由,かつ,権利において平等なものとして生まれ,生存する。社会的差別は,共同の利益に基づくものでなければ,設けられない」とあり,このことが「人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」と解釈されています。また,第4条(自由の定義・権利行使の限界)には,「自由とは,他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって,各人の自然的諸権利の行使は,社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は,法律によってでなければ定められない」とされています。全17条の中に,博愛という言葉は表だって現れていません。三つの言葉は同レベルにはないようです。博愛は,共同の利益の確保や権利行使の制限に対するバックボーンと考えられます。
人権を擁護するためには,一方で権利行使の制限及び乱用の阻止をすることが必要になり,その際の拠り所として博愛という理念の共通理解が図られることになります。より明示的にいえば,博愛である権利ではなく,博愛である義務と考えた方がいいのかもしれません。自由と平等の権利というアクセルと,博愛の義務というブレーキが揃うことで,つつがなく生きていくことができるはずです。
博愛という理念を行動指針として意識するために,「人様に迷惑をかけない」という歯止めがありました。人様という言い方で人に対する敬意を意識し,迷惑という言葉で人の権利に対する気配りを心に刻んでいました。ほかには,「己の欲せざるところを人に施すなかれ」という銀の道徳律や,さらに一歩進んで,「己の欲するところを人に施せ」という金の道徳律もありました。「一期一会」という人とのわずかな関わりにも真心を込める生き方もありました。
語り継がれてきた言葉には,それを受け継いできた人の共感による増幅作用が働いて,命脈をつないできたはずです。それらの言葉に対する感性を失わないように心掛けていたいものです。
(2008年08月30日)
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