*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【線の上にあるのは?】


 最近のデジカメには人物写真をきれいに撮るために,顔を読み込む機能を備えたものがあるようです。人と対面すると,真っ直ぐに顔を見て確かめ合います。ところで,その大切な顔と頭の境界はどこなのでしょう。髪の毛の生えているところが頭? 鼻の付け根から眉毛を通って耳の穴に達する曲線を引いて,その線より上が頭,下が顔だそうです。額は頭になります。なんとなく分かったような気になりますが,もう一つの疑問が残っています。境界となっている眉毛は,どちらでしょう。普通に考えると、眉毛は顔でしょう。物事を区分けするときに線を引きますが,線自体の帰属が見落とされていることがよくあります。
 暮らしを管理している時間ですが,午前と午後があります。切り替え点は0時と12時です。0時は年越しのカウントダウンでおなじみのように,一日の始まりで午前と考えられています。では正午は? 境界ですからどちらにもなり得ますが,12時は午前ということになっています。午前の方がわずかに長いのです。午前0時とか午前12時とは言いますが,午後0時とか午後12時とかはあまり耳にしないと思いませんか。
 日々の暮らしの中で起こってしまうもめ事も,どこかで線引きをしなければなりません。多数決という便法では,五分と五分になると決着がつきません。議会では議長裁決となりますが,その際「現状維持の原則」という一応の指針があるようです。境界となる議長裁決には保守の色がついているようです。刑事裁判でも刑事訴訟における裁判官からみた面として,「疑わしきは罰せず」,「疑わしきは被告人の利益に」という原則があるようです。
 明らかに一方が理不尽であるようなトラブルでは迷いはありませんが,どちらの言い分もそれなりの理がある場合,判断が難しくなります。人権という尺度で見る場合,少数であったり弱い立場にある人に境界の分を適用することが妥当であると考えられます。あらゆるハラスメントの背後にいる強い者に巻かれないための擁護の切り札です。
(2008年12月22日)