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【逆想?】
バーナード・ショーがいっています。「半分だけ飲み物の入ったビンをテーブルに置きなさい。楽天主義者はそれを見て,『しめしめ,まだ半分ある』,厭世主義者は『ちぇっ,もう半分しかない』という」。
江戸の小咄があります。ある男が江戸に出て行きましたがすぐに舞い戻ってきて,言いました。「江戸というところは住みにくい。水にまで金を出して買わなければならない」。同じように江戸へ出て行った別の男が言いました。「江戸は住みよいところだ。水を売ってでも生活ができる」。
同じ状態を見ていても,見る人の意味づけによって,正反対の価値を持たされます。かつてのアフリカに視察に出掛けた製靴会社の二人の社員が,会社に報告をします。一人は「アフリカでは靴は売れない。誰も靴を履いていないから」。もう一人は「アフリカでは靴は売れる。誰も靴を履いていないから」。
小学生の男の子に近所の小母さんが話しかけます。「学校のベルは授業の始めと終わりになるのね」。その子が首を横に振って言います。「ううん,学校のベルは休み時間の始めと終わりに鳴るんだ」。あることの終わりは次のことの始まりです。卒業を意味するコメンスメントは,本来は始まりという意味です。
物事が相反する性質を同時に持っているということを,みんなは何となく感じてはいます。老子の一節です。
人はだれしも「美」はつねに美であると考える。美は同時に「醜」でもあることを知らない。だれしも「善」はつねに善であると考える。善は同時に「悪」でもあることを知らない。「有」と「無」,「難」と「易」,「長」と「短」,「高」と「低」,「音」と「声」(音楽と物音),「前」と「後」,これら対立する概念は,あくまで相対的な区別に過ぎない」。
日本の鉄道が始めて急行を走らせたとき,「乗せる時間が短くなるのに,料金を高くするのはべらぼうな話だ」という意見があったそうです。レンタカーなどは乗っている時間が長くなると割増料金が請求されます。料金は乗っている時間に比例すると考えると,乗っている時間の短い急行料金は下げるべきという考えもできます。
人の話は半分聞く,そのようなアドバイスがあります。同じ事実が違って見ることもできるということでしょう。疑うというのではなく,違った状況が有り得るということを想定すれば,話し手のペースに巻き込まれることはないでしょう。
(2014年03月02日)
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