*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【予習1?】


 理論的なバックグラウンドをもたない身では,人権という概念がなかなか腑に落ちてきません。口に出し耳に聞いていても,カスミの向こうを見ているような感覚です。教えを請う前の予習として,自分なりにもがいておく必要があります。バカなもがきをしておきましょう。

 法は弱い者を護る。その根拠は? 全ての人には生きる権利がある。したがって,弱者を守る法が不可欠になる。

 そういう定言を置いてみます。まずは,人権擁護機関の役割を概観しておくと,擁護のハード,すなわち救済施設や強制権限をもたず,ハードを備えた専掌機関につなぐしかありません。人権擁護機関の役割は,助言や援助というソフトなものです。唯一の権限らしきものは,国の機関であるということだけです。
 次のような疑問が浮かびます。人権擁護は人を擁護するのではないのでは?ということです。擁護の具体的な行動は本人が担うことになるからです。擁護機関は人権が擁護されるように第三者的に働きかけるのです。人権という概念,状態を護るために,人権侵害を阻止しようとしています。
 人権とは人が生きる権利と確認をして,疑問を続けることにします。人権擁護は,弱肉強食を否定しています。弱い者を護るためです。ところで,力に頼る弱いものが現れることがあります。弱い犬ほど良く吠える,窮鼠猫を噛む,という状況です。例えば,いじめられすぎて逆襲する,仕返しをするときに暴力を振るいます。いじめていたものが暴力を振るわれる状況で,人権は現在暴力を受けているいじめっ子の側にあることになります。人権を護るためには,仕返しという暴力を人権侵害として阻止することになります。いじめられっ子という人を護るのではなく,いじめっ子の人権を護ることが筋になります。人ではなく,人権という状況を護るのです。この推論は誤謬となるのでしょうか?
 その場その時の状況で,弱い側に加担するというのでは,一見して人に対する関わり方に一貫性がないようです。しかし,いきさつはどうであれ,今の弱い者の味方をするという原則は守られるべきでしょう。そういうことから,擁護するのは人ではなく,人権という状態というべきではないのではとも思われます。
 ところで,いじめられっ子がいじめっ子に逆襲したという事案を,法はどう考えるのでしょう。いじめっ子が危害を受けたのは,いじめていた報いであり,その原因を作ったのは自分であるということを諭すのでしょうか? たとえいじめられていたことが原因とはいえ,仕返しをすることは許されないということでけりが付けられるのでしょうか? ケンカではないので,喧嘩両成敗とはならないでしょう。
 どのように納得すればいいと思われますか?

(2014年08月14日)