*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【選幸権?】


 仙台62万石の大名伊達政宗は独眼竜の猛将として名をとどろかせていましたが,茶道にも通じていました。政宗が茶室の縁先で茶道具を手に持ち,もてあそんでいたときです。特に貴重な愛蔵の茶碗を危うく落としそうになりはっとしましたが,かろうじて膝で支えたので無事でした。ほっと息をついた政宗は,顔をしかめました。
 「これまで戦でも動じたことはなかった。ところがこの茶碗だ。いくら得がたい高価な品とはいえ,たかが茶碗ではないか。取り落としそうになって自分を見失ったのは無念だ」。政宗は立ち上がると,手にした茶碗を庭石にめがけて力任せに投げつけ,名器は砕け散りました。「これで動ずるものはもう何もないわ」といって,豪快な笑い声を響かせました。
 人は裸で生まれてきて以来,有形無形のものを取り込んで生きていきます。やがて,生きていくのに必要なもの以上に取り込んでいこうとします。豊かさが幸せであるという信仰に染まります。そこで感染する気の病が喪失病であり,失うことへの拒否権を発動します。高じると手に入れたものは何であっても処分できないということにもなります。断捨離ができないと,その先では身動きできなくなります。
 心穏やかに暮らすことが幸せであるとするなら,失うことを怖れるような執着物は寄せ付けないことです。もし既に取り込んでしまっていたら,壊れても構わないと思えたらそれでいいし,未練が残るようなら政宗のように破壊してしまわなくても譲ってしまえばいいでしょう。
 所有する権利には,所有しない権利もあり,どちらを選んだら幸せになるか,それを決める権利が人それぞれにあります。
(2018年10月07日)