*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【適時?】


 明治時代の歌舞伎の名優である九世市川團十郎が,能役者の権威である宝生九郎の家を訪れ,取り次ぎの人に丁寧にあいさつをして,伝えました。「このたび,舞台で勧進帳をつとめることに相成りました。つきましては,勧進帳のある場面について,極意を当家の先生に授けていただきたく,ここにご無礼ではありますが,突然伺った次第でございます。このことよろしくお取り次ぎを願います」。
 こうして,玄関先で待ち続けること30分あまり。ようやく襖が左右に開かれ,一人の老人が人を待たせていることなど気にもしていない様子で,ゆっくりと姿を現しました。「お前か,団十郎は」「はい,私が団十郎でございます」。すると,老人はいきなり態度を改めると,鍛え上げた根太い雷声で,叱咤するように怒鳴り出しました。
 「なんだ,歌舞伎役者の分際で,例を"能"に取ろうなどとは生意気な話だ」。そう言い終わるや。すらりと身を翻し,"能"の型にはまった静粛な態度に悠揚とした歩調を取って奥へ引っ込んでしまいました。
 ことの成り行きの意外さに,団十郎は棒立ちになって,じっと九郎の崇高な後ろ姿を見つめていたが,一瞬はっとして,「この呼救じゃのう」と思わずひざを打った。見事,勧進帳を演ずる極意を体得したのです。団十郎は生まれつきおっとりした性格で,芸はかなり間が抜けていたせいで,舞台に姿を現すと「大根」と罵声を浴びせかけられていました。そのことを九郎は知っていて,団十郎が何を求めているか見抜いた上で,して見せたのです。
 人は事に当たって自らの足りない部分を感じますが,それが何かを理解することは困難です。持たないものは理解しようがないからです。しかし,そのタイミングにして見せてもらうと,これだと気づきます。空腹の時に食事の味がよく分かるのと同じです。困ったときこそ,学びのチャンスです。
(2021年02月01日)