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【誠声?】
やは肌のあつき血潮にふれもせで さびしからずや道を説く君。与謝野晶子は明治という時代のただ中にあって,官能をうたいあげてひるまなかった人です。
日露戦争に出征している弟を思って「あゝをとうとよ,君を泣く,君死にたもふことなかれ」と大胆に厭戦をうたいあげたものです。非難ごうごうとなり,石を投げ入れる者,脅迫状をよこす者あり,文学者大町桂月は国賊と罵っています。
晶子はいっこうに怯むこともなく,「少女と申す者,だれも戦争ぎらいに候」と言い放ち,「私はまことの心をまことの声に出し候とよりほかに,歌のよみかた心得ず候」と反論したのです。まことの心で不倫の恋を貫く晶子は,肉親を思うまことを以て「親は刃をにぎらせて,人を殺せとをしえしや」とうたうことにもためらってはいませんでした。
日露戦争後ロマン主義も下火になると,「明星」が姿を消し,夫の鉄幹は意気消沈していきましたが,晶子はかえって輝きを増していくように,日に三百枚の色紙を書きまくって家計を支え,十一人の子女を育て上げていきました。生活にも怯まない不滅の明星であったのです。
今の時代なら「弁えない女性」ということでSNSを賑わしてしまう輩がいて,女性のまことの心による怒りの大波を招くはずです。時代は変わっていますが,それに気づこうとせずに取り残されている者がいて,警鐘を鳴らす役割をつとめることになります。お陰様で,晶子の時代からは成熟していることを感じ取ることができます。
しかしながら,コロナ渦の中で生きようとし,生かそうとしている人のまことの心を忌避し排除する者が現れることは,私たちの時代が未成熟という証です。人が未成熟だからです。やれやれと嘆いている暇はありません。
(2021年03月10日)
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