*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【間通?】


 現代人に最も姿が知られている古代人は聖徳太子でしょう。お札の肖像が見慣れていました。その肖像で,太子は手に細長い板のようなモノを持っています。平安時代の貴族を描いた絵でも同じようなモノを持っています。それは笏といって,貴族が正装をして公の場に出るときに持つモノでした。その用途は,いわばメモ帳でした。当時の儀式には約束事が多く,式次第が細かく定められていて,貴族たちは笏の裏に紙を貼り,あれこれとメモを書いていたのです。ところで,聖徳太子が笏を持っていたかというと,その可能性は低いようです。日本で笏が使われるようになったのは聖徳太子の後の時代で,肖像画で太子が笏を持っているのは後世の人の想像と言えます。
 平安貴族で女性を描いた絵では,みんな扇を持っています。何のために扇を持っているのでしょう。女性の衣装といえば十二単ですが,二十枚くらいの着物を重ね着していた人もいました。それだけ着込めば体を思うように動かせないため,人を呼ぶときなど扇を使って意志を伝えたのです。また,重ね着した袖の中にうっかり手を入れてしまうとなかなか出せなくなってしまうので,手に扇を持って袖の中に入らないようにしていました。それだけではなく,最大の理由は顔を隠すためでした。平安時代,女性が男性に顔を見せることはほとんどありませんでした。身分が高い女性は相手が親,兄弟でも屏風や几帳越しに話をしていました。そこで不意に男性が現れたとき,とっさに顔を隠せるように常に扇を持っていたのです。
 平安時代の人が手にしていた笏や扇という道具は,今いる場での自分へのメッセージ,他者へのメッセージを示す道具です。人には自他の間で伝えなければならないこと,伝えたいことがあり,その手段として言語や所作を用います。その間の結びつきの基本は,平安時代と今とで変わりはありません。人はお互いの間で意識が通い合うようになるとき人間となるのでしょう。

(2023年09月03日)