*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【安添?】


 江戸の町でもこどもが迷子になることがありました。電話などの情報網がある今と違って,江戸時代の迷子は生き別れになってしまうこともあったようです。親は必死な思いで我が子に迷子札を付けさせていました。住所氏名を記しておけば,家まで送り届けてもらえるというわけです。
 保護された迷子は,迷い込んだ町の月番の家に預けられることになっていて,月番によって迷子の人相や特徴,着物などを書いて,新橋にあった芝口掛札場に掲示されました。そこは行き倒れや身元不明で亡くなった人の人相などを掲示する場所として,幕府が設置した場所です。
 そこに7日間掲示され,それでも親が現れなければ,近くの町内に迷子の人相などを書いたものが張り出されました。それでも親が見つからないときは,その町で育てられることに決まっていました。
 親になんとかして迷子の存在を知らせようという仕組みが,江戸時代でもできていたようです。そして親に戻せない場合には,特別な組織ではなく,普通の町で引き受けるという温もりがあったようです。
 最近は新型コロナウイルスの影響やこどもに関する様々な事件があり、たとえ迷子でこどもが困っているとわかっていたとしても、どう対応したらいいのかわからなくなります。今のこどもたちは「知らない人」にとても敏感。声をかけられることで、逆に警戒心をもつ場合も。自分が変質者だと疑われたらどうしよう。誘拐と思われるリスクだってある。助けたい!と思っていてもこのような不安から動けない方もいるでしょう。
 疑いをかけられないようにするためには,その場から連れていかない,男性一人の場合は110番通報する,なるべく女性が声をかける,といった配慮が必要です。しばらく側に一緒に寄り添っている場合には,人権擁護委員の身分証明書を提示しておくと安心してもらえるかもしれません。

(2023年09月25日)