【人権羅針盤の応用1】
人権宣言等から導き出した「人権羅針盤」は,下図のようにまとめられました。この図を使って,いくつかの人権侵害事例を診断してみようと思います。何か新しい分析の展開ができれば,人権擁護の助けになるはずです。
この図で,中央に位置する私の周り(黄色部分)が幸せの権利を表します。その外側,外の他者との間(緑色部分)が「人権」といわれるものが機能しているところであり,お互いに擁護されるべき領域となります。人間関係における人権を尊重することによって、私の幸せが完成するのです。この構成図によって,人権と幸せの相関が明確になりました。
子どものいじめによる自殺というあってはならない侵害事例について,その経過を羅針盤と付き合わせてみます。
平成27年に自殺した岩手中学校2年生男子の生活記録ノートから,経緯を示します。
【3か月前】(4月7日,17日,20日)
○今日は新しい学期と学年でスタートした一日です。この今日を大切に,でだしよく,
終わりよくしたいです。
○最近○番の人に「いかれてる」とかいわれましたけど,けっこうかちんときます。
やめろといってもやめないことがあるし,学校がまたつまんなくなってきたような。
○なんか最近家でも学校でもどこでもイライラするような気がします。いいことないし,
しっぱいばっかりだし,もうイヤだ嫌ーです。だったら死にたいゼ☆
【2か月前】(5月13日,15日)
○ぼくだってがんばってるのにぜんぜん気にしないし,づっと暴力,づっとずっとずっと悪口,
やめてといってもやめないしもう学校やすみたいそろそろ休みたい氏にたい(死にたい)
○なにかの夢を見たようです。誰一人いない世界に一人ぼっちになったようなかんじでした。
【1か月前】(6月3日,4日,5日)
○先生がたはしらないでしょう,ボクは○○とけんかをしました。ボクはついにげんかいに
なりました。もう耐えられません。
○体はつかれはて,思うとおりにうごかなくなりました。学校にはいけませんでした。
金曜はいこうと思います。
○けんかいらいいじめはなくなりました。しかし,ボクはまだおこっています。
次やってきたら殴るつもりでいきます。
【4週間前】(6月8日,10日)
○実はボクさんざんいままで苦しんでたんスよ?なぐられたりけらりたり首しめられたり
こちょがされたり悪口言われたり!その分を(全ぶだしてないけど)ちょっと放ったんですよヨ。
○あいつといるとろくなめにあいません。体調がますます悪化する・・・。もうつかれました。
もう死にたいと思います。
【1週間前】(6月28日,29日)
○ここだけの話,ぜったいだれにも言わないでください。もう生きるのにつかれてきたような気がします。
氏(死)んでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな。)
○ボクがいつ消えるかはわかりません。ですが,先生からたくさん希望をもらいました。
感謝しています。もうすこしがっばってみます。ただ,もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね。
まあいいか。
【そして・・・】(7月5日)
●祖父に「買い物に行ってくる」と外出し,列車にひかれて死亡(自殺)
※自殺に追い詰められる心理の経過
自殺はある日突然に何の前触れもなく起こるというよりも、長い時間かかって徐々に危険な心理状態に陥っていくのが一般的です。上の事例を照合しながら,気持ちがどのように推移していったのか,寄り添ってみましょう。
(1)3か月前の「イライラする,いいことない」という記述
【ひどい孤立感】*********************************【羅針盤:表現権の喪失】
「誰も助けてくれない」としか思えない心理状態に陥り、頑なに自分の殻に閉じこもってしまいます。
(2)2か月前の「誰一人いない世界に一人ぼっちになったようなかんじ」という記述
【無価値感】*************************************【羅針盤:安心権の喪失】
「私なんかいない方がいい」などといった考えがぬぐいきれなくなります。
(3)1か月前の「けんかをしました。ついにげんかいに」という記述
【強い怒り】*************************************【羅針盤:参画権の喪失】
自殺の前段階として強い怒りを他者や社会にぶつけることもあります。
(4)4週間前の「もうつかれました。もう死にたいと思います」という記述
【苦しみが永遠に続くという思い込み】**************【羅針盤:希望権の喪失】
自分の苦しみが永遠に続くと思い込み,絶望的になっていきます。
(5)1週間前の「氏(死)んでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな。)
もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」という記述
【心理的視野狭窄】*******************************【羅針盤:成長権の喪失】
自殺以外の解決方法が全く思い浮かばなくなる心理状態です。
(6)祖父に「買い物に行ってくる」と外出し,列車にひかれて死亡
****************************************【羅針盤:決定権の発動】
5つの権利を侵害されて生きていることに向き合えなくなって,最後に残った決定権,それを自らの命を絶つという決定とせざるを得なかった中学生の無念さを思うと,悲しみと怒りを覚えます。決定権だけは固守したい,そう叫ぶ声が聞こえてくるようです。尊厳ある死に方を求める安楽死の選択の是非にも通じる問題になります。
この事例では,3か月前から、心の下降が始まっていると見なすことができて,最初の書き込みは「緊急度3か月」とカウントすることになります。
子どもからの訴えが,どの心の状況になっているか照らし合わせると,緊急性を判断する助けになるでしょう。ただし,この事例一つで時間軸を決めるのは危険ですので,心の下降速度は寄り添いの継続の中で個別に確認しなければなりません。
緊急性を感じ取る一つの事例として,いじめを受けた心がどのように縮んでいくのかを見極める一助にしてください。
このままでは絶望が続くばかりです。救いがなければなりません。令和4年度に実施された第41回全国中学生人権作文コンテスト中央大会で法務事務次官賞を受けた「また明日」という作文を引用しておきます。
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私はある一人の少女の話を見つけた。その少女は中学生で、学校ではいじめを受け、先生は見て見ぬふり、勇気を振り絞って親に打ち明けても、まともに聞いてもらえずにいた。それでも彼女は、中学校はあと三年間なのだから耐えればいいのだと思っていた。でも、日に日にいじめはエスカレートしていった。彼女は「何で私がいじめられないといけないのだろう。パパやママは私の話を聞いてくれない、先生は見て見ぬ振りばかり。誰も私の味方なんていない。」そう思ったそうだ。そして彼女はついに、明日命を絶とうと決意した。
彼女が命を絶つ日、ある一人の少女が彼女の前に現れた。その少女は、小学校の頃の親友で、中学校に入り、クラスが離れてからあまり接点がなかった。二人は、久しぶりに話をした。そして彼女は親友に、涙ながらにいじめを受けていることを話したのだ。今日、死のうと思っていることも。その後、親友は何も言わず「そっか。」とだけ言ったらしい。そして別れ際、ずっと静かだった親友が彼女にこう言った。「また明日。」音にすれば五文字、文字にすれば四文字。たったそれだけの言葉が、彼女がこの世から去ることを引き止めた。
彼女はこの時、こう思ったそうだ。「生きよう。」例え親や先生が味方してくれなくとも、クラスでいじめられようとも、誰か一人でも、私が明日という日に存在する事を認めてくれるのなら「生きよう」と。
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先ず親友と思っている友は自分の「表現」に耳を傾けてくれて,何も言わず「安心」を添えてくれ,「そうか」ときちんと「参画」してくれた上に,「また明日」があることを保証してくれて「希望」する権利を復活してもらいました。この一人の友人の存在があったお陰で,悲劇に向かっていた道が反転できたのです。羅針盤が明るい動きに転換できるのです。このことを忘れないで欲しいと願います。
(2024年01月15日)