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【人間らしい権利とは?】
見えにくい人権というものをあぶり出してみる試みに取り組んでみます。
本筋としては,公権力に対する個人の権利というものが人権概念の出発であったと思いますが,ここでは,普通の暮らしの中での「人と人の関係における権利」について考えることにします。例え話として,開拓時代に入植者がそれぞれ思い思いに自分の所有空間を線引きして権利を主張することを見ていきます。
人は自分が生きていくために,奪い合うという権利の行使をし,弱肉強食というルールが単純にまかり通ります。「強くなければ,生きてはいけない」ということです。権利のみが主張されて,居住できる可能な土地すべてをそれぞれが占有し終えると左図のようになります。
ところが中央の土地を占有した者は,自分の土地に入ることができません。周りを全て他人の土地が囲んでいるからです。権利だけが主張されると,使用不可能になるのです。
解決するには,権利の主張を控えて共有の土地を生み出さなければなりません。それが右図です。いわゆる道という共有部分,公道が現れ,共用するための交通ルールが申し合わされます。人間関係で言えば,人と人が権利行使で組み合ってしまうと動けなくなるので,離れて間を置く必要があるのです。人ではなく人間という形になります。この間の存在,それが国家であり,社会であり,世間になります。
この土地の占有図は,社会機能の縮図と思い直すことができるでしょう。自分の占有領域では「自由」に,お互いの占有領域を尊重する「平等」,そして共用部分ではお互いに「博愛」の関係を保つことになります。
人間は一人では生きられないことから,人と人のつながりを社会と意識してくらそうとします。その認識を持つことができたとき,人間であることになります。
人間の生きていく権利は,個人の権利と社会維持という責任(義務)とから構成されているのです。人は誰もがそれぞれに身を削って共有部分を生み出すことで,活動を生み出すつながり空間が確保できます。
繰り返しますが,個人の権利だけでは生きるという意味が喪失し,社会における人の間を設けることで意味が生じると考えて,間にある社会への責任と互いの個人の権利を一体となるように,
人権の構造=私の権利(自由)+社会責任(博愛)+他人の権利(平等)
というサンドイッチ構造を想定すべきです。
この人の「間」にはどのような機能が込められているのか,普段の暮らしの構造に準えてみましょう。
@自分と他者を区別すると共に,お互いを認知する機能が必要です。具体的にはそれぞれが「名前」を名乗ります。名前はそれぞれ自由に決められるもの(現実は親が)ですが,その他でも自分のことは自分が自由に決めていいという「決定権」という機能を持っています。
Aさらに自分の居場所である「住所」が占有されます。具体的な場所,住まいですが,信頼関係である「居てほしい場所」であり,社会関係における「役職」も含んでおり,「安心権」と表現することにします。
B名前や住所はお互いに分かり合うことが必要であり,それは言語による表記によって伝達可能になります。平等な社会関係においては共通理解が基盤であり,お互いの「表現権」が機能しなければなりません。
C人が生きるためには,糧を獲得しなければなりません。自給自足では賄いきれないとなると,共同生活になります。そこでは,協働活動が想定されて皆がそれぞれ互恵に向けて自分にできる活動を通して「参画権」を発揮しなければなりません。社会責任です。
D人が自らを説明する上で必要な情報は、「氏名、住所、職業」ですが、それらは上記の権利と符合します。さらに「年齢」という情報があります。生きていくということは、今日から明日に生きていくことです。
子どもは大人になっていくという生きる活動をします。そこにはこうありたいという願いを抱く「希望権」があるはずです。大人になっても明日への願いを持つことが,生きようという励みになります。
Eさらに人は年齢を重ねるにつれて経験を増やして,賢くなっていきます。生きることは学ぶことで続きが可能となり,「学習権」が備わっていなければなりません。人の命が有限であることから,世代交代によってつないでいくことになります。高齢者が子どもに経験知を伝えていく学習によって,人はより幸せになってきました。
以上,人の間にあるべき6つの人権をどのように整理することができるでしょうか? そこから,人が幸せに生きることはどういうことか、を説明していく形式にまとめることができます。
@誰が幸せに生きるのか?(WHO)
幸せに生きていくことを自由に決めているのは自分=「決定権」
A何処で幸せに生きるのか?(WHERE)
幸せに生きていく場所は、平等で信頼できる居場所=「安心権」
B何時幸せに生きるのか?(WHEN)
幸せに生きているときは、互いに共通理解したとき=「表現権」
C幸せに生きるとは何?(WHAT)
幸せに生きることは、皆が生きていく社会への貢献=「参画権」
D生きることがなぜ幸せに?(WHY)
生き続けていくためには、明日の幸せを期待できる=「希望権」
Eどうすれば幸せに生きる?(HOW)
幸せに生きるためには、お互いの経験知を継承して=「学習権」
と表記しておきます。
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【人間らしい関係】
人間の間を意識することで浮かび上がってきた社会の機能の一つである人間関係に,具体的な何が埋め込まれているかを探っていきます。社会における人間生活の基本を「お互い様」と考えて,暮らしの維持に不可欠な物々交換という行動を見てみます。
まず,お互いに交換物を出し合います。
次に,お互いに欲しいものを選び合って,
お互いに了解することができたら交換することになります。
このプロセスが整ったとき,それぞれが互恵(恵み合う)により幸せに至ります。
現実の場で起きてしまう不釣り合いは,「お釣り」という形で補正され了解されます。
権利を「個人的な利益の獲得」とし,人権を「人間としての権利」,すなわち「人と人の間柄を包括し,お互いの間での利益の交換,共有,分配」とすると,お互いに他者の権利を擁護しつつ自分の権利を獲得できるようになるという形になり,
人の間の基本的構造=「責任・義務」+「権利」
と整理することができます。
人権は,自分の権利と他者の権利が一対になっているとイメージすべきです。言い換えると,人権は,二つの権利,自分の権利を行使,一方で他者の権利を擁護しつつ,その間柄としての人権尊重社会に責任を持つという構造になっているのです。
さらに,この人間関係の基本が普通の暮らしの場でどのように実現されているのかを,身近な状況から具体的な形にあぶり出しておきます。
自他という人間の間の了解は,自分が五分で相手が五分という形で落ち着きます。そのことは巷間の言葉で「世の中はギブアンドテイク」と言われています。これ以上に簡単な表現はありません。
注目しておくべき大事なことが見逃されています。それはギブアンドテイクという言葉の順序です。例えば,悪代官が豪商につぶやきかける「魚心あれば水心」,つまり「賄賂をくれたら利権を与える」という関係は,テイクアンドギブという逆順となり,故に裏社会のルールとなります。鼠小僧が大名家から小判をテイクして,貧しい町民にギブしたのは逆順として,表社会では許されないことなのです。
人権を侵害する,それはテイクアンドギブという逆順から起こります。もちろん,テイクするだけの場合は当然に法に触れる犯罪となります。また,普通の暮らしでも,金をくれたら働くというのは逆順であり,働いたことへの報酬として金を受け取るというのが正順になります。
表社会のルールは,先にギブして後からテイクするという順序で整えられています。これに言葉を付与すると分かりやすくなり,実行しやすくなります。「どうぞ」とギブするから,「ありがとう」とテイクすることができるのです。ドウゾがないのに,いきなりアリガトウとテイクしようとすると,それは略奪することになってしまい,犯罪になります。奪い,奪われるという事態はアリガトウだけが生きている裏社会で起こっていることなのです。
非行少年が自省のための作文で「自分はこれまでアリガトウと言ってもらったことがない」と書いています。自分がアリガトウしか言えない,それは待っている言葉であり,無理矢理アリガトウと言える状況を社会に強制してきたという反省でもあります。アリガトウが言えるいい子?,それが非行少年なのです。
先にギブしようと「自分で決めている」と奪われることにはなりません。奪われるという事態を避ける工夫,ドウゾという言葉を使う知恵,それが人間らしさ,優しさなのです。例えば,赤ん坊は親から奪って育っていきますが,親はドウゾと思っているから納得しています。さらに言えば,積極的にドウゾと行動できることが,優しさの発露であり,人間らしさになるはずです。たとえアリガトウの言葉が返ってこなくても,気にしないでいたらワンランクアップでしょう。
人間社会は,ドウゾ,アリガトウ,そして「どういたしまして」で動いています。人間関係はドウゾで開かれ、アリガトウと正順で結ばれ成就するのです。自らの権利が成就するのは後からということです。
もう一つの例として,交差点の原則を見ておきます。交差点の機能として最も大事なことは,交差点で止まることです。つまり,ブレーキを踏んで「ドウゾ」と譲ることが先なのです。「アリガトウ」を求めてアクセルを踏み込んで突っ込んでいけば必ず衝突することになります。それぞれが取りあえず自分の番をブレーキを掛けてドウゾと譲って後回しにして,相手にアクセルを踏ませる機能が幸せな交差点なのです。
(2024年02月04日)
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