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「第 100-12 章」 |
『子育ちは 邪な道 見極めて』

■子育ち12賢愚■
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『子育ち第12賢愚』
【邪:邪道を見逃すこと】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第100版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。ただ構成上に変化を繰り入れます。奇数号では賢い育ち,偶数号では愚かな育ちという配置をします。育ちが望ましくない向きにずれていかないためには,避けるべきことにも目配りをしておくべきです。予め推奨すべきことと同時に注意すべきことを知っておくと,安心することができるはずです。
《邪について考える?》
子どもの育ちでは,したことがないことはできないと言われます。見たこともない聞いたこともないことは,それがあるということが分かりません。赤ん坊は,まわりの人が歩いているのを見て,同じように歩こうとします。自分が歩くことができるかなど考えず,ただ,歩くという行動を真似をしようとして,歩く能力を引き出していきます。オオカミ少年は人を見なかったから,人の真似ができず,オオカミの真似をして育ったのです。子どもは自分が何ができるか,発見するまで全く分かっていません。
人は人の中で育ちます。目の前にできる人がいると,そんなことができるんだと分かって,そうしようとしますが,簡単にはできません。そのときに邪な心を持つと,できる人の邪魔をしようとします。出る杭は打たれるということが起こります。自らの能力開発の道を閉ざすことになります。もちろん特異な能力は個人の資質であって,皆が同じレベルとはいきませんが,普通の能力については,それなりには誰でもできるようになれます。素直に真似をする,それが育ちの基本プロセスとなります。
暮らしは大部分が共同作業になります。お互い様の頼り合いによって社会は成り立っていますが,そこに欲に駆られた邪心がわき上がると,欲を満たすことができるように思えるのは邪推でしかなく,人としての生き方の邪道になります。偽装といった社会的な悪事は,自らに邪な思いを紛れ込ませる未熟さがもたらします。人を騙す,いじめる能力が優れていたとしても,それは邪悪な能力です。正しいことができる能力を育てるには,邪心に惑わされないという信念を培うように努めなければなりません。
自分を大切にという思いが肥大すると,自己愛が強くなるでしょう。一方で,格差社会という現実が広がっています。思い描く理想と直面する現実のギャップが欲求不満となり,埋めるために嘘をつくようになります。夫に嘘をついて信じ込ませて,弁護士を痛めつけた猟奇的事件がありました。気持ちの隙間を埋めるだけの小さな嘘が,口から出たとたんにつじつま合わせに迫られて,拡大し続けます。身の丈の自分,等身大の自分を大切にする,そこに嘘は必要がありません。
★落書き★
最近,やたらと不審な取引があるという理由で確認してくるメールが届きます。迷惑メールであるスパムメールです。このスパムとは,アメリカの食品会社が製造する加工豚肉の缶詰「スパイシーハム」の略です。そのCMに「スパム,スパム・・・」と連呼するものがあり,これがイギリスのコメディ番組でネタとして使われました。レストランで料理を注文しようとした夫婦が,スパムを連呼するバイキングの歌に邪魔をされて,結局スパムを頼んでしまったという笑いです。そこで,頼みもしないのに無理矢理送られてくる迷惑なメールをスパムメールと呼ぶようになったのです。
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