*** 子育ち12章 ***
 

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「第 4 章」


『大好きな かあさんいつも ほほえんで』


 ■はじめに

 第3章では,育ちにとって言葉が大切であることについてふれました。
 普段何気なく使っている言葉ですが,それが育ちの主食なのです。
 ご飯を食べずにお菓子ばっかりでは不健康ですね。
 同じように,おもしろいギャグ言葉だけでは心貧しくなります。

 人はちょっとした一言で傷ついたり,励まされたりします。
 親から子どもへ,子どもから親へ,思いのすれ違いが起こります。
 どうしてなのでしょうか? どうすればいいのでしょうか?

 親は子どもに親心を押しつけてはいませんか?
 親の経験のない子どもに,親心など分かりようがありません。
 お年寄りの気持ちが想像できないのと同じです。

 親子の心が通い合うような言葉づかいがあるはずです。
 まず,親が美しい言葉づかいをしてみせなければなりません。
 ・・・それが今回のテーマです。



【質問4:あなたのお子さんは,美しい言葉づかいをしていますか?】

 《「美しい言葉づかい」という言葉について説明が必要ですね!》


 ○なんべん言ったら分かるの?

 玄関の靴を脱ぎっぱなしにする子どもに,ママはいい加減うんざりしています。「いつもきちんとしなさいとあれほど言っているのに,言うことを聞かないんだから」と泣きたくなります。似たようなことはたくさんあるでしょう。一所懸命にしつけているつもりですが,しつけられてくれません。しまいにはわざと逆らっているのではないかと落ち込んだりします。

 「きちんとする」ことがどういうことか,具体的に教えなければ子どもには分かりません。幼児であれば,例えば玄関に靴の形を書いてやって,それにそろえるように指示してやるとできるようになります。きちんとという言葉は曖昧なので,親が何度伝えたつもりでも,子どもに意味は伝わりません。

 因みに後片づけのできる子は概して成績がよいと言われることがあります。

・・・伝えたと伝わったの違いは,具体的であるかどうかです。・・・


 ○人のことはどうでもいいの!

 妹がお兄ちゃんのいたずらを言いつけにやってきます。「ママー,お兄ちゃんがね,塀に落書きしているよ」。「またいたずらしてるの。しようのないお兄ちゃんね。後で叱っておきましょうね」。そう答えながら,ママはちょっぴり心配です。仲良く遊んでいるのに,妹は何かといえば,お兄ちゃんの悪さを告げ口してきます。イヤな性格に育っているのではないかと気がかりで,人のことなど構わないようにしてほしいと内心では思っています。

 ママは妹をもっと見つめてやるべきです。「兄を後で叱っておこう」と言ったときの妹の表情です。うれしそうにしているでしょうか? そうではないはずです。試しに「そう。でもあなたはしなかったのね。偉いね」と言ってやると,きっと喜ぶはずです。自分もまねして落書きがしてみたかったけれども,してはいけないと我慢していたのです。その健気さを分かってもらえれば,兄のことなどどうでもよいはずです。

 子どもは自分の気持ちを上手に表現できません。表立つ行動を語ることしかできません。しなかったことは形がありませんから,話せないのです。もちろん,しなかった気持ちも伝えられません。言外に隠された子どもの気持ちを,聞き取ってやる聞き耳が求められます。妹は決してイヤな性格などではないので,安心していいでしょう。ママのお眼鏡違いなのです。

・・・伝えたと伝わったの違いは,気持ちを聞き取るかどうかです。・・・


 ○ワアー きれい!

 ママと一緒に歩いている子どもが,道ばたに咲いている花を見て立ち止まっています。「何をぐずぐずしているの,早くいらっしゃい」と急かせます。心が育つ大切なチャンスを逃そうとしています。心の育ちは心が動いているときにきっちりと定着させなければなりません。

 子どもは風景の中から花を見つけだして何かを感じています。そのときに,ママが「きれい花ね!」と言葉を掛けてほしいのです。そうすれば,子どもは今感じている気持ちを「きれい」と表現出来ることを覚え,意識することができます。同時に,「きれい」の一言でママと共感出来る,つまり心が通いあうことを確認します。

 心を教えるということは,相応しい言葉による表現を教えることです。今どきの若者が心の動きのすべてを「すご〜い」の一言でしか表現できないようですが,言葉の貧しさは心の貧しさにつながります。

・・・花の美しさを何通りの言葉で表現できますか?・・・


 ○美しさの秘密?

 人は花を見て何故美しいと思うのでしょうか? 普段はそんなことは考えたことも無いでしょう。美しいから美しいと感じているだけですよね。

 植物は昆虫に向けた「受粉を手伝って」というサインを花に託しています。そのサインを感じ取る本能が人にも残っているようです。花の語り掛けが聞こえてくるのです。もちろん聞く気にならなければ聞こえませんが。

 生きることへの関わりが生きているものの本性です。花によって世代を交代させようとする植物の生きる姿に,人は生物として共感出来るのです。その生への喜びの感情を「美しさ」と人は定義してきました。

 因みに,チョウチョは「菜の花に飽いたら桜にとまれ」といった受粉を混乱させるような不人情(?)な飛び方はしないそうです。

・・・美しさとは,生きる喜びへの共感に名付けられた言葉です。・・・


 ○なぜだろう? ママの顔を見たら逆らいたくなる!

 連れだって歩きながら,それぞれが携帯電話で別の人とお話ししている風景は不思議です。自転車を携帯片手にながら運転する若者も増えてきました。会っているときに話せばいいのにと思いますが,電話の方が話しやすいそうです。なぜなんでしょう?

 人と向き合うと疲れるようです。自分を語ることは得意ですが,話を相手にあわせて転がしていくのは苦手なためのようです。それに電話だと取り繕いが簡単にできます。話をやめたいときも,どうにでも理由を付けられます。相手には見えていないのですから。

 コミュニケーションは言葉を使います。言葉が文字になり,記号化され,情報化が進んでいき,携帯電話になりました。しかしそれは主食であるご飯やパンと同じであり,食事ではありません。言葉を発する人の表情や態度というオカズが揃ってはじめてコミュニケーションという情報の食事になります。

 ママがきわめて優しい言葉をかけながら冷たさをたたえた表情をしていると,子どもは戸惑いを感じます。それが続くと情緒不安定になり,やがて心の病気にかかっていくそうです。タテマエの言葉とホンネの表情を見分けます。「あなたには手を取られたくない」,「あなたには面倒掛けられる」といった否定的な気持ちは,表情になって発信されます。子どもはそれを母親からの受動的な攻撃と読み取ります。

 ママは大変だなと思っていても,次から次に追い立てるようなママの不機嫌な顔を見ていると,子どもは防衛本能からつい逆らわざるを得なくなります。そうするようにママがし向けているのです。子どもの行動は親の鏡とみなすことができます。

・・・美しい会話は,言葉と表情とがぴったりと一致したものです。・・・


 〇うれしいときは?

 親は子どもが幸せであるとき,子どもにいいことがあったときは,とてもうれしい顔になるものです。自分のことではないけれど幸せな気持ちになることができます。人が社会的動物であると言われるのは「共存原則」を持っているからです。喜怒哀楽を共感する能力です。この共感力を眠らせてはなりません。

 地方から都会に出稼ぎに出ていたお父さんが,年末に帰郷する日が明日です。家には小学2年生の女の子がいました。「明日,お父さんが帰ってくるね。お父さんに何をお話しする?」,「分からない」,「どうして?」,「だっていっぱいあるから」。あくる日,駅に出迎えに行きました。「お父さんがもうすぐ帰ってくるよ。お父さんの姿が見えたら,何て言う?」・・。

 女の子は駅の出口を見ながらしばらく考えていましたが,「笑う」とひとこと言いました。大人なら「お帰りなさい」と迎えるでしょう。でも,その子は笑顔を見せると言ったのです。笑顔は人を迎え入れる最高のサインです。心を思いっきり開いて・・。

・・・笑顔がなぜ美しいのか,最高のおもてなしだからです!・・・



 《美しい言葉づかいとは,気持ちが通い合い共感することです》


 ○言葉のしつけは体験をベースにして共感を表現していけば,ごく自然にできるはずです。うまくいかないときは,自分の体験を押しつけているときです。

 【質問4:あなたのお子さんは,美しい言葉づかいをしていますか?】

   ●答は?・・・もちろん「イエス」ですね!?

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