*** 子育ち12章 ***
 

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「第 6 章」


『姿見の 我が身ながめる 他人の目』


 ■はじめに

 第5章では,「もう一人の子ども」が育っていると書きました。
 分かりにくいようでしたら,精神とか心と読み替えてください。
 子どもが悪さをしたとき,「この手が悪い」とつねったりしませんか?
 本当は手に悪さをさせたもう一人の子どもが諭されるべきなのです。

 ところで,皆さんは読書をなさいますか?
 子どもには本を読ませたらいいと言われています。
 本を読んでどんな効果があるんでしょうか?

 学校では作文を書かせたり,日記の宿題があります。
 どうしてあんな面倒でイヤなこと(?)をさせるんでしょうか?
 その疑問にお答えしようとするのが,この章のテーマです。



【質問6:あなたのお子さんは,他者の目で自分を見ていますか?】

 《「他者の目で見る」ということの意味について説明が必要ですね!》


 ○自分を見つめるのは?

 作文や日記を書くときは,自分の思いや生活をもう一人の自分が思い出そうと目覚めます。内省と言われる行為の基本です。

 イジメを受けた子どもは,いじめられるような弱い自分,惨めな自分をもう一人の自分が許せなくなります。自分なんか居なくなればいいと見捨てるとき,命を絶たせます。もう一人の自分が自尊心の傷つくことに絶えられなくなるからです。イジメという負の体験がもう一人の子どもを目覚めさせ追いつめてしまうのは不幸です。

 犯罪を犯した少年に更生のために作文を書かせるのも,もう一人の自分を目覚めさせ反省させるという目的があるからです。

 自制はもう一人の自分が自分を制することです。もう一人の自分が眠ったままでは,責任能力が無く社会人になれないのです。

・・・もう一人の子どもを目覚めさせるきっかけを豊かに!・・・


 ○トイレのしつけ

 はじめは「オシッコ出た」と言ってきます。不快感があるので出たことが分かり訴えます。言葉を使うのは「もう一人の自分」ですが,もう一人の自分がまだ自分と常につながっていないので,タイミングを失して「出そう」とは言えないのです。出そうと言えるようになるためには,もう一人の子どもがいつも目覚めて自分を見守っていることが必要です。

・・・もう一人の子どもが育てば,自然に言えるようになります。・・・


 ○読書の楽しみは?

 推理小説を読むことがあります。もう一人の自分は本の世界に入り込み,主人公の探偵に同化します。決して被害者にはなりません。被害者ははじめに消えるからです。謎解きをしているもう一人の自分は疑似体験をしていることになります。本を読むことで,もう一人の自分が目覚めて,主人公という他人になって得難い体験をします。読書はもう一人の自分を一回り大きく育てていると言うことができます。

 子どもはヒーロー遊びが好きで,自分がなったつもりで飛び回ります。もう一人の子どもが夢いっぱいの体験をしています。正義の味方として振る舞うことで,正義の意味や気持ちを身に付けていきます。

・・・もう一人の自分は他者の体験をすることで育っていきます。・・・


 ○みんなの中で!

 モノをおねだりするとき,「みんなが持っている」と理由付けしてきます。もう一人の子どもが持っていない自分は他人と同じでないと判断するからです。この他人と同じでありたいという意識は大切な社会性の始まりです。大切だと感じているから,親との交渉に口実として持ち出してきます。

 言い寄られた親が「本当に必要なモノなら」と査定するのも,そこに社会的必然性を見つけようとしているからです。「人並みに」という暮らしの知恵です。

 子どもは知らないうちに悪さをしでかします。もう一人の子どもがまだ社会的に未熟だからです。河原でビンを石垣に投げつけて割って遊ぶとき,後から河原に来る人に危険だと考える力が未発達です。自転車盗も持ち主の迷惑を察することができない未熟さのせいです。雪下ろしの苦労を思わずに,雪国に憧れるのも未経験からくる幻想です。

 「みんな」という範囲が狭いのです。身内や仲間だけを「みんな」と思っていて,「赤の他人」はみんなの中に入れていません。限定された「みんな」に止まっているから,社会性が偏狭なものに固定化し,問題行動に発展していきます。

 もう一人の子どもが「みんな」の目を持っていますが,それを他人の目にまで見開けるように育てなければなりません。昔の人が「かわいい子には旅をさせよ」といったのは,他人の目を持つために多くの人との関わりを体験させることだったのです。そこから生まれた「恥の意識(文化)」はすでに消滅しています。新しい目を・・・

・・・公共性は,見ず知らずの人もみんなの中に含めることです。・・・


 ○考えるもう一人の自分

 夜道を歩いていると無灯火の自転車が音もなくすり寄ってきます。一瞬びくっとさせられます。車での帰り道,目の前にいきなり自転車が現れます。はっとさせられます。自転車に乗る人は勝手知った道なので,灯火なしでもこわくはないのでしょう。しかし,歩く人に対して身を隠して加害者になる可能性,ドライバーに対して陰のようになって被害者になる可能性を考え及んでいません。自分を見る他者の目を持っていないからです。

 シートベルトを装着していないドライバーを見かけます。シートベルトは自分のためにする安全策です。自分の命への気配りのない人は他人の命など考えることはできないでしょう。とてもこわいと感じます。他者の目を持つことは,自分を大事にすることにつながります。

 思いやりは相手の立場になって考えることであり,もう一人の自分がすることです。自分を大切に思うのはもう一人の自分であり,他者の目を持つもう一人の自分が他者も同じ人として大事に思うのです。人が人間らしくなるには,もう一人の自分が育つことです。

・・・豊かな心とは,もう一人の自分がいなければ現れません。・・・



 《他者の目で見るとは,もう一人の自分が社会化するという意味です》

 ○子どもたちは,「何となく」,「皆がするから」という曖昧な形で社会化しはじめますが,もう一人の自分が体験し考えるようになれば,さらに成長していきます。大人の社会的な目で見た意見を子どもに伝授し続けましょう。

 【質問6:あなたのお子さんは,他者の目で自分を見ることがありますか?】

   ●答は?・・・どちらかと言えば「イエス」ですね!?

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