*** 子育ち12章 ***
 

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「第 11-09 章」


『明日を待つ 願いあるから がんばれる』


 ■はじめに

 卒業前の学生さんに就職への意欲がなくなってきました。昔流にいえばブラブラする,今風ではフリーターという立場を選ぶ者が増えています。何とか糊口をしのげるということのようです。それでいいと考えているのか,そうせざるを得ないのか,大人は子育てを再確認しておかなければなりません。

 政府は小泉首相を中心に閣僚からなる青少年健全育成推進本部を設置するようですが,その背景としてフリーターの増加もあげられていました。定職に就かないのは問題という捉え方ですが,就職難の状況ということがあるにしても,若者自身の側にも就職意欲の低下が見られ,アルバイトでは専門的な技量の獲得ができないという社会的なデメリットも想定されます。

 業種にもよるのでしょうが,教え子たちは求人数が上回っているのにもかかわらず,フリーターを選んでいます。求人に応じない理由はさまざまですが,どうも自分が何をしたいのかという自覚がないようです。そのために,在学中も自分に力を付けようという意欲が出てきません。何となくというフワフワした状態で,手応えがありません。

 何がしたいという目標が定まらないのは,取りあえずという生き方,育ち方をしてきた結果です。取りあえず学校に行って,取りあえず進学して来たあげく,いざ決断という局面でも,取りあえず卒業はしてという足踏みを続けようとします。面白おかしく暮らしたいという思いだけはありますが,それが具体的な願いにまで凝縮していません。

 いつまでも親元でフワフワしていられるかのような錯覚から抜け出せないでいます。欲しいものはバイトして稼げばいいとしか,設計していません。端的に言えば,自分が家庭という城を築くという気概が見られません。パラサイト(寄生)志向は珍しくなくなったようです。いつまでも自立できない若者,フリーターにはそんな孤独な意気地なしというイメージがつきまとっています。



【質問11-09:お子さんの願いを認めていますね?】

 《「願いを認める」という意味を確かめておきましょう!》


 〇星に願いを?

 「星に願いを」というテーマ音楽がありました。ディズニー製作のわんわん物語というアニメの主題歌だったと思います。太古から人は星に願いを重ねてきました。流星の輝きに願いを唱えるとかなうという信仰もあります。夜空の星が描く星座も,願いを込めた目に見えるイメージでした。

 家庭では,ママが輝く星です。子どもはママに願いを,と思っています。ママが輝いているときとは,ママが笑顔を向けてくれたときです。子どもはママの笑顔に素直な願いを訴えてくるでしょう。ママの顔が曇っていると,子どもの願いは封じ込められます。

 子どもがママに願いを伝える方法は,決まった形式があるわけではありません。一組の子どもとママがそれぞれに作り出すものです。子どもにとって,ママはオンリーワンの星だからです。子どもはママにだけ分かって欲しいという願いを持っています。でも,どう伝えたらいいのか分からない場合もあります。わざといたずらをすることもあるでしょう。好きな子をからかったり,ちょっかいを出すことと同じです。ママは子どもの願いを見逃さないように,きっちりと認めてやってください。

 サンタクロースを信じて願いを託すこともあります。サンタクロースは心の中で願っていることを分かってくれる不思議なおじさんです。子どもは魔法が好きですが,それは自分の願いをかなえてくれる不思議な力だからです。夕食に食べたいなと思っていたおかずをママが作ってくれたとき,ママは自分のことを分かってくれているという不思議な力を感じ取ります。

 子どもには思いやりの心を持って欲しいとママは願っていることでしょう。思いやりとは,相手の願いをくみ取ってかなえてあげる行為です。不思議な力なので,そう簡単に身につけることはできません。場数を踏んで,自分の心に染み入らせなければなりません。たくさんの本を読んだり,パパとママの間に思いやりを見つけたり,豊かな思いやりに出会えるような育ちが必要です。

・・・願いは念じていなければ,つかの間の星の輝きに間に合いません。・・・


 〇3割?

 願いと親戚関係にあるのが夢です。夢は遠くに,願いは近くにあると考えることができます。実現の度合いによって区分けできます。子どもが大きくなったらケーキ屋さんになるというのは夢です。たどり着ける道ができていないからです。道がないという意味で,夢である宝くじと同じです。

 願いとは,自分がなにがしかの努力をする余地があるものです。自分ではどうしようもないのが夢です。欲しいものがあるときに,お小遣いを貯めて手に入れようとするのが願いです。もちろんその道がかなり遠いということもあり得るでしょう。それでも,願いに向かう道がはっきりしているのです。

 ところで,願いはすべてかなえられるものではありません。いろんな事情が絡まって,どうしようもないことがあります。そんなときは一時中断することになります。あきらめる場合もあるでしょう。そこで願いの実現度というものに対する理解をしておかなければなりません。どういうことでしょうか?

 ママが手助けして実現できるような願いについて,願いが叶う割合を3割程度に抑えておくことです。3度に1度はかなえられる,願いの成就割合がその程度であることはママの人生経験からも妥当でしょう。それ以上にかなえてやると甘やかしになります。何でも願いは叶うという子ども時代をおくると,わがままに育ちます。

 一方で,願いは叶わないとなると,願うことをあきらめ,努力をしなくなります。夢を見るようになり,神頼みに,運任せになって堕落するようになります。ギャンブルに迷い込んだり,かすめ取ろうとする悪の道に踏み込みます。自分で努力すればどうにかなるかも知れない,それは生きる道でもあるのです。

 3割打者になろうとする努力を認めるのが,願いを認めることになります。願いを認めるとはかなえてやるということとは違います。願っている努力が大事であると認めてやるのです。がんばってね,それでいいのです。何もしないで願っているだけでは,認めようがありませんからね。

・・・幾ばくかの望みがあればこそ,人は願いに向けて努力できます。・・・


 〇輝く願い?

 願いは自分のことばかりではありません。ママは子どもさんに対してたくさんの願いを持っていますね。子どもも夫婦が仲良くして欲しいと願っています。時々見かける夫婦ゲンカも,もしかしたら自分がいけない子だからではないかと悩みます。子どもは自分勝手なものですが,悩みも自分勝手な解釈をしていきます。

 いい子にしているとママが喜ぶからと,ママの喜びを願いにして無理をしてしまうことがあります。いい子がやがてぷつんと切れるのは,無理が過ぎたときです。端からは虐待されていると見える子どもは,自分が悪い子だからママにしつけてもらっていると思っています。結果として,ママを庇っているのです。

 子どもが草花を握りしめて家に帰ってきます。「ママに,はい」と言って差し出します。お店にあるカタカナ名前のきれいな花ではないかもしれません。でも,きれいだなと思った子どもは,ママにも見せてあげたい,喜んで欲しいという願いにかられて摘んできました。きれいな花ね,ありがとう。そういって受け取ってあげることで子どもの願いはかないます。よかった,子どもはうれしくなります。

 願いで最も美しいものは,「誰かに喜んで欲しい」という願いです。願いには二つの道があります。一つは自分に向かう道です。誰しも自分のために願うものです。でも,それだけでは願いが浅ましくなっていきます。わがままな願い,自分勝手な欲望,それは節度があってこそ生きる縁になります。

 自分のための願いを抑えるには,別の願いを両立させるしかありません。もう一つの願いの道,それが周りの人への願いです。ママが家族に向けて抱いている願い,それは愛という願いです。愛という輝きを放つ願いをしっかりと受け止めて,願いの素晴らしさを教えてやれるのは,ママしかいません。願いを認めてやってくださいね。

・・・願いの道で迷わないように,ママはしっかりと道案内してください。・・・



《願いを認めるとは,人として幸せに生きる案内です。》

 ○親としての最初の願い,それは子どもの名前に込められています。時代の風を受けているとはいえ,こんな子に育って欲しいという願いは親の喜びでもあります。字画にこだわる親もいるでしょう。英語としての発音を考える親もいるでしょう。幸せを願うからです。

 ところで,親の願いの通りに子どもは育たない,それが親の切実な思いでしょう。名前負けをするという言われ方もあります。それでいいのです。願いは自分で描き,決めて,目指すものです。形は変わっても,願いを持って生きてくれさえすれば・・・。


 【質問11-09:お子さんの願いを認めていますね?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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