*** 子育ち12章 ***
 

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「第 11-11 章」


『ハラハラと 見守る親を 子は知らず』


 ■はじめに

 地域二日制の対応として,通学合宿という体験行事が広まっているようです。ずいぶん前から,福岡県庄内町で始められたものです。一週間から十日程度の期間で,施設に集団で住み込み自炊し,そこから通学します。もちろん,親の付き添いはありません。数人の大人が指導し見守ります。

 公民館などを利用する場合は,調理場はあるのですが,入浴がネックになります。そこで,近所の家数軒に協力をしてもらって,子どもたちが数人ずつに分かれてもらい湯をすることが多いようです。特に高齢者の家などでは,孫のように感じてくれて,かえって喜ばれていると聞きます。生活の一部がつながることは,親近感を育むようです。

 かわいい子には旅をさせよ。古くからいわれている子育ての一つです。今では,文字通りにホテルなどを利用する旅行とすり替えられているようですが,実のところは人の家にやっかいになるということです。偉そうにするお客様ではなくて,感謝しながら世話を受ける客になることです。ホストの迷惑にならないように気配りをするゲストになることです。

 集団の一員として暮らしを経験すれば,一人で生きているのではないということに気付きます。そこから社会性が芽生えます。助け合っているという思い上がりではなく,助けられているという謙虚な気持ちを実感できたら,自分を見失うことはないでしょう。

 通学合宿から帰ってきた子どもがたくましくなった,落ち着いているように見えるという親の感想があります。子どもなりに暮らしてきたという自信もあるでしょうが,自分の立場を見つけたという成長をしたせいです。環境が子どもを育ててくれるということを知っておいてください。よそのお家で暮らすことがない今の子どもたちにとっては,通学合宿は一つの大事な育ちの環境を回復する機会になっています。



【質問11-11:お子さんの冒険を認めていますね?】

 《「冒険を認める」という意味を確かめておきましょう!》


 〇やる気?

 やればできるじゃないの! そんな言葉がいつも出せたらいいですね。やればできるのにやろうとしない,そんなじれったい思いを味わうのが親かもしれません。なんとかやる気を引き出そうと,叱ったりすかしたり,あれこれ手を変え品を変えし向けますが,いっこうに効き目が現れません。困ったものですね。

 授業で学生に向かっていると,私語はする,聞く耳を持たない,何をいってるのだろうというしらけた空気,むなしさにおそわれることがあります。以前はそんなことはありませんでした。最近は特にひどくなってきました。あーんと言って口まで箸で運んでやらないと食べられない,そんな幼児性を残しています。

 自分のお箸で食べられない,どう食べたらいいのか知らないといった風で,言葉に乗せて知恵を運んでやっても,それを受け止める耳を働かせていません。教えてもらおうという気ばかりで,知ろうという感度が殺されています。常日頃,ワクワクさせてもらおう,何かワクワクすることないかな,それは自分の感度を上げない限り無駄な探索なのです。おもしろいことはあるのではなくて,感じる自分を作り出すことです。

 無関心は育ちの敵であり,学びの敵です。なによりも生きているということへの反逆です。五感を働かせることが生きることであり,それは関心なのです。心を関わらせることで,知恵が摂取できます。知らないことに向かって,気持ちを沿わせようとする,それは五感の冒険です。ワクワクするのは,自分の気持ちの感度を上げた状態なのです。

 目の前に現れるものに対して,単純に反応できる感性,それがおもしろいものを見つけるきっかけになり,楽しさを掘り出す端緒になり,知恵を取り入れる興奮をもたらしてくれます。やってみなければ分からない,そんな取り組み方,それが冒険というものの正体です。やる気とは冒険する気持ちと重なっています。子どもの無邪気な関心を決してつぶさずまっすぐに応援してやれば,やる気はどんどんあふれてくるはずです。

・・・やる気とは,分からないことを恐れずやってみる冒険心です。・・・


 〇気の持ちよう?

 臆病風に吹かれるという場合があります。臆病とは,あれこれ憶測する結果です。心に思うことが胸につかえている状態が臆です。それをぐっと飲み込んでしまえば病にはならずに済みます。同じ状況をどのように判断するかで,結果としての転換点が現れます。物事は気の持ちようで逆転できるものです。

 もう半分しかない,まだ半分もある。どちらに見るかは,見る人に任されています。その後の取る道が分かれます。慎重派か冒険派かという違いになります。実業界でのたとえ話で,未開の世界では靴を履いている人がいない,だから靴は売れないと考えるか,だから靴が売れると考えるかという選択が教えられます。同じ事実から,相反する結論が導き出せるのです。

 子どもの育ちには,慎重派は似合いません。なぜなら,育ちの道は育つ者にとっては冒険の道にしかならないのです。したことがないことに挑戦することが続きます。したことがないとためらっていたら,育てないのです。ところで,ママはしたことがないことに毎日挑戦していますか? PTAや育成会などの委員を逃げてまわっていませんか? 子どもはそんなママの姿を見覚えています。

 そんなことはない,毎日がしたことのないことの連続です! そうですね。子育ては毎日が挑戦です。はじめてのことばかりが容赦なく襲いかかってきます。だからこそ親になることができ,大人として一回り大きく育っているのです。冒険の報酬としての喜びはちゃんと用意されています。代々の親がそうしてきたのです。

 育つこと,育てること,親子にとっての冒険です。どうせやるなら,ドンと来いという覚悟を決めましょう。その方がよい結果を生みます。へっぴり腰では,うまくいくはずのことも取りこぼします。やれるだけやってみよう,そう思うだけでいいのです。それが後悔をしない鉄則です。うまくいかないことがあったにしても,冒険をしたという結果は残ります。どれだけ冒険をしたか,その数だけ育ちの階段を上ることができます。

・・・初体験の壁を越えない限り,育ちは始まりません。・・・


 〇安全?

 子どもは,親の目を離れたときに,とんでもない所まで足をのばします。「あんな所まで行ったの」と,後で聞いてびっくりです。ときには,思わずぞっとすることもあります。もう二度と行っちゃだめよ,と釘を差します。ジャングルジムでも,いつの間にか高いてっぺんまで登りつめます。ときには,降りられなくなって,べそをかくこともありますが。

 子どもは目の前の興味につられて足や手を夢中に動かしています。まっすぐに突き進むことはできますが,いざ後戻りをしようとするとできません。だから,迷子になります。子どもは,ある特定の場所に行こうというのは難しいのです。全体の道筋を描いて,逆算しなければならないからです。予定された行動ができるには,繰り返しによる学習が必要です。

 このまま進んだら帰れなくなるかもしれない,登るときに手が滑ったら落ちるかもしれない,そんな先の心配や恐れを持っていません。ちょっぴり失敗する体験の後になってはじめて,失敗しないようにしようという気持ちが育っていきます。失敗によって先のことを考える力を身につけていくので,できるだけ放っておくことです。親が前もって用心するように言っても,経験していないことは理解できません。

 ある大学の先生が,学生に行動する上でどんなことを考えているかと問いかけたそうです。答えに唖然としたそうです。先生は「正義」とか「挑戦」とか「善意」などを想定していましたが,学生の答えは「安全」だったそうです。そのように育てられてしまったのです。何をするにも安全を優先する,そこに「よい子」というイメージの真髄が見えてくるようです。

 闇雲に用心する姿勢は安全ではあるのですが,冒険ができません。恐れが先に出てくると,どんな場面でも躊躇し,尻込みするしかなくなります。最も安全なのは,どこにも行かず,何もせず,ただじっとしていることです。追い立てられて何かをしようとしても,ちょっとしたつまずきでびびってしまいます。苦難を乗り越えるなどはとても望めません。冒険しない,させない,そんな子育ち,子育ては反省した方がいいようです。

・・・冒険しない安全より,冒険して失敗した方が育ちには有効です。・・・



《冒険を認めるとは,生きようとする型を伝授することです。》

 ○できる子に育てるにはどうしたらいいのでしょう? 丸が上手に描ける子がいます。そうなるまでは,グニャグニャの丸をどれほど描いてきたのでしょう。まっすぐ歩けるようになるまで,何度フラフラとよろけたことでしょう。キャッチボールができるまで,何度後ろに逸らしたことでしょう。

 できないことを恐れずに,何度も何度も繰り返し,その積み重ねが少しずつ上手の手を育てていきます。習うより慣れろ,それは冒険の彼方に能力が待ちかまえているということです。パソコンが壊れないかと心配しているから,いつまでも上達できない,そういう理屈もあります。


 【質問11-11:お子さんの冒険を認めていますね?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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