*** 子育ち12章 ***
 

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「第 11-12 章」


『ママ歩き 幼い足は 走ってる』


 ■はじめに

 ママはお友達がいますか? 同じくらいの子どもを持つ親御さんの集まるサークルがあります。参加なさっていますか? 同じ苦労や喜びを分かり合える仲間がいることは,本当に安心できますし,気苦労も解消できるでしょう。近くにそんな寄り場が見つかったら,顔を出されたらいいですよ。

 ところで,人の集まりでは気をつけておかなければならないことがあります。見落とすことが多いのですが,集まりは一般的にマンネリ化する傾向を持っています。そのうちに参加してもつまらないとか,関係が深まらないといった物足りなさを感じるようになります。

 その原因は同じような人が集まるからです。確かに取っつきはスムーズに行きますし,分かり合えるので話は早くつきます。ところがやがて,発想が同じであるためにお互いに刺激されることがなくなります。それがマンネリという症状になります。

 生き生きとした集まりにするためには,違った仲間を迎え入れることです。体験の違う方が集まるから,お互いに触発されるのです。子育ての集まりでは,子どもの年齢の違う親御さんが集うようにしてみませんか。小さいお子さんのママは,我が子の成長していく先の事情を聞くことができて心構えが持てるでしょう。大きいお子さんのママは,ついこの前までの我が子を思い出せて成長を実感できるはずです。

 ちょっと歳の差がある方は,年下の方が煙たく思う場合があるかもしれません。実際には,そんなことはあまりないはずです。ウマの合わないときは離れていればいいのですし,ウマの合う方を見つけたらいいのです。子どものことでしたら,どなたも優しい気持ちで接するはずです。近くにそんな集まりがなかったら,ご近所を見回してみてください。



【質問11-12:お子さんの無茶を抑えていますね?】

 《「無茶を抑える」という意味を確かめておきましょう!》


 〇安全な無茶?

 公園で遊んでいる子どもを見ると,大丈夫かなと思ってしまう場面があります。ママなら「だめよ」と声を掛けるでしょう。親は心配性なものです。どうしてもブレーキを掛けたくなります。ちょっと目を離した隙に,危ないことをしでかしています。目が離せません。

 子どもはどうしてあんなに平気で無茶をするのでしょう。自分の力を知らないからです。知らないから力の使い道が分かりません。頭からぶつかったら痛いのですが,先に手をつけばいいということを知らないのです。こけたら怪我をするかもしれないと,先回りをする経験知が未入手なのです。無茶を故意にするのではなく,せざるを得ないのです。そのことを分かってあげてやってください。

 見守るのが親の役目ですが,見ていると気が気ではありません。止めさせてしまうのは簡単ですが,それでは育ちができません。我慢してさせてみようと思い直しても怖いですから,ちょっと貸してご覧とママが取り上げてやって見せようとします。それが必要な場合もありますが,それだけでは過保護になります。

 させてみる場合は,怪我に至らないように,それとなく周りの環境に気配りをしておかなければなりません。それが保護するということです。全く無茶をさせないのが過保護,少し無茶ができるようにしておいて大事に至らないようにするのが保護なのです。見守るということです。

 大きな無茶を抑え込み,小さな無茶は残しておいてやる,その手加減が手塩に掛けて育てることになります。誤飲をしないように環境を整えるとき,ちょっとは口にできるものを残しておいて,苦い体験をさせてやらなければ,何でも口にしてはいけないことを覚えてくれません。その余裕をもった無茶の封じ込めが大切です。

・・・無茶を自覚するためには,無茶の小さな痛みが必要です。・・・


 〇焦らない?

 ある程度大きくなった子どもでも,無茶をやります。無茶だということを知っていても,してしまいます。メンツとか,かっこいいからとか,意地でもとか,達成しなくてはならない気持ちを抱いたときです。そんなときは,闇雲に無茶だと抑え込んでも,親の目の届かないところで暴走します。

 友だちから注目されたい,親を見返してやりたい,好きな人に見込まれたい,動機はいろいろとあります。子どもは思い詰めるので,短兵急に成果を望み,いきおい無茶をするようになります。若気の至りという言葉がありますが,気持ちの焦りは誰でも持っていたものです。それを自分で何とか抑え込むように育ってきました。

 無茶とは,必要なステップを端折ることです。一つ一つの段階をきちんと踏めばできることでも,一足飛びにしようとするとき無茶になります。焦りはせっかちになることであり,短時間に済ませようとするからステップを無視します。無茶を抑えるには,時間を掛けるという我慢を発揮すればいいのです。

 今でなくてもいい,明日でもいい,来週でもいい,ちょっと先延ばしにしようという気持ちになれば無茶は抑え込むことができます。無茶を抑えるということは,無茶だから止めなさいということではありません。それは気持ちの邪魔をすることですから,聞き入れられません。ちゃんと順序を踏もうという導きによって,気持ちを迂回させてやれば,分かってくれるでしょう。

 無茶をすることは格好悪いこと,無茶をすることは賢くないこと,無茶をすることは自慢にならないこと,本物の格好良さとは地味な努力,賢いとは計画的な挑戦,誇るべきことは確実な成果であることを,繰り返し教えてやってください。何が大事なことか,分からせることが親としての導きなのです。

・・・今すぐに,そのせっかちな気持ちが無茶を招きます。・・・


 〇ペースメーカー?

 子どもはママのために無茶をすることがあります。人のために自分の身を省みない無茶,ときには崇高でさえあります。妹のためについ無茶をするお兄ちゃん,そんな姿がかつてはざらにありました。貧しさによる利他的な無茶は少なくなりましたが,代わって豊かさによる利己的な無茶が増えてきました。

 純真な子どもには,まだママを大切に思う気持ちがあります。自然な気持ちなのでしょう。ママが喜んでくれるかも,そう思って健気な姿を見せてくれます。ママの期待が大きいとき,それに応えようとする子どもは多分にいろんな意味で無茶をするようになります。はじめは小さな無茶かもしれませんが,積み重なると限界を超える本物の無茶になります。

 ママは子どものためによかれと思い,子どもはママのために無茶と思いもせずに,迷い道に向かいます。いい子であろうと無理をし,やがてプツンと限界を超える事例は,こうして起こります。良いことに向かおうとはやる気持ちは,ペースを誤らせます。親が抱く期待というのは期して待つことです。待つということは,無茶を避けるということです。

 ママのペースに引き込もうとすると,子どもにはそれが自分の育ちのペースでなければならないと信じます。それができる子であればあるほど,自分の限界を悪しきこととして自分の無力を責めるようになります。決して無力ではなく無茶なペースのせいなのですが,それと気付かせてくれるものが与えられません。

 ママは周りの子どもたちをよく観察して,自分の子どもが早くできるようになったと喜んでいては,オーバーペースになります。育ちは想像を絶する長距離です。ペース配分を誤らないように,育ちのコーチであるママの責任は重大です。無茶を抑える,それはペースメーカとしてのママへの自戒でもあるのです。

・・・マラソンでは最初は集団のゆっくりとしたペースで走りますよね。・・・



《無茶を抑えるとは,育ちの歩幅とペースを整えることです。》

 ○衝動買いをして,後でどうにもならなくなるという経験があります。今欲しい,でもそれがその後も持続しないことはたくさんあります。雰囲気に飲まれてつい手を出してしまう,それも後先を考えていないという意味で無茶なのです。

 そうはいっても,人は気持ちで動かされます。動けば何らかの痕跡が残ります。その後始末をしなければなりません。責任を取るということです。普通は始末する方が手が掛かります。ものを作るよりも,修理する方が手間暇が掛かるのと同じです。限られた人生の時間を彩るのは,案外と始末することの方が多いかもしれません。それが運命という人生の選択になるのかもしれません。


 【質問11-12:お子さんの無茶を抑えていますね?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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