*** 子育ち12章 ***
 

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「第 1 2 章」


『迷い道 あれこれ考え 子が育ち』


 ■はじめに

 第11章では,失敗したときから育ちがはじまると書きました。
 子どもから,失敗のチャンスを奪うとき過保護になります。
 見守るのは,小さな失敗が大きくならないようにすることです。

 失敗ははじめですから,失敗するだけでは育ちにつながりません。
 失敗は自分の能力の限界を否応なく思い知らせます。
 誰が思い知るかというと,もう一人の自分です。

 大切なことは失敗を親や大人に指摘されたくないことです。
 子どもはふくれっ面を返してくれますが,それは育ちをそらせます。
 もう一人の自分が受け止めることを邪魔してはいけません。

 失敗の次のステップは,もう一人の自分が反省することです。
 失敗をしたら,「しまった」ともう一人の自分は思うはずです。
 その後は「どうして?」と考えますが,それが自然な育ちです。

 育ちはひとつの流れとして進んでいきます。
 その流れをスムーズにすることが子育てです。
 子育ちの流れを理解すること,それがこの章のテーマです。



【質問12:あなたのお子さんは,学ぼうとしていますか?】

 《「学ぼう」という意味について説明が必要ですね!》


 ○子どもに失敗の機会を与えたら,その次はどうなるのでしょうか?

 失敗をしでかしたら,次は「どうして?」と「反省」をするはずです。もしここでママが失敗を叱ったら,子どもはそのことで不快になり,反省をしなくなります。もう一人の子どもの出番を奪います。叱ってはいけないという意味はここにあります。失敗を気にしなくていいと励ますことで,もう一人の子どもは心おきなく反省することができます。

 反省とは,もう一人の自分が自分を振り返ることです。自分の力を見極めて,本当の自分を知ります。まだまだ未熟だなと自覚できます。実力を見定めることができたら,次のステップに進みます。反省だけなら猿でもできるということですが,人は猿にはない資質を持っているのです。それは「学習」できるということです。とはいえ,お猿さんもなかなか侮れないようですね。

・・・自分の失敗がもう一人の自分を目覚めさせ,反省を引き出します。・・・


 ○学ぶとはどういう風にすることなのでしょうか?

 自分の失敗の原因を知りたいと思いますが,うまくできていないのですから分かりません。どこで間違えたのかは,正解と比べないかぎり分かりません。何かの行動であれば上手にこなしている他の人を見習うことで,自分の間違いが見えてきます。人がしていることをまねること,それが学びです。マネル=マネブ=マナブと,変化してきたのです。かつての徒弟制度では親方の技を見て盗むことが修業と言われてきましたが,これも真似ることです。

 学ぶとは「こうすればいいのかな」とできる人をもう一人の自分が見て真似をすることです。言葉で説明しても子どもには分かりません。親がしていることを見て真似をすることならできます。子どもの学びは真似ることですから,親に似てきます。親がするようにするということです。子どもにはそうするより他にやり方は無いのです。

・・・もう一人の子どもが,できる人を見て「学習」します。・・・


 ○考える人と言われるように,人は考えることができますが?

 ものを考えるとは,最も簡単に言えば,「こうすればこうなる」という因果関係を見つけることです。ゲームがおもしろいのは,「こうしたらこうなるのでは?」とやってみたら,「思った通りになった」時の予想的中の成功です。自分の考えが証明された喜びを,人は感じることが出来ます。これが学びから生まれる快感です。

 ヒトは考える力を授かったお陰で,学びから得た因果の知識によって予測が出来るようになりました。「こうしたらこうなる」と分かっているから,ヒトは計画的に暮らせるようになりました。社会の豊かさは今日の結果として明日が来るという考える力によって実現したと言えます。この力は「もう一人の自分」が発揮する力です。

 ところで,人は森羅万象を読み解けるほどの知力は持ち合わせていません。考えて分かることはごく一部です。「こうだとするとこうなりそうだ」という程度までしか分かりません。そこで,確率という経験則をとりあえずの道具として考案しました。例えば,天気予報です。さらに,「こうだから,こうなるかもしれない」というように,ほとんど分からないこともたくさんあります。例えば,Jリーグや日本シリーズの予想です。

 結果を確かな程度に予測できないと,不安になります。ヒトには危険な場合もあるでしょう。例えば,いつ車に撥ねられるか分からないから,不安であり,危険だと感じています。親しい人を気遣えば心配になります。時として選択を迫られる場合には,結果が分からないので,迷い,悩みます。何も考えなければ不安も悩みもあり得ません。

 人が何事かをしようとするときに考える道筋には,二筋があります。一つは結果として身に危険が及ぶ可能性が少しでもあると予測できるなら,安全のために回避するか中止する道です。人は生来臆病ですから,こちらの道を選ぶことが多くなります。例えば,廊下を走ったら自分や他人に危険だから,止めるといったことです。

 もう一つはよい結果が出るかもしれないと期待できるなら,多少のリスクは覚悟してやってみようとする道です。夢の可能性に向かって走るときの熱い思いが不安を吹き飛ばします。「前向きに考える」という言い方は特殊な世界の言い回しかもしれませんが,本来はよい結果に向けて行動しようとする覚悟です。 古いお話ですが,アフリカの人に靴を売り込もうとするとき,「誰も靴を履いていないから売れない」と考えるか,「誰も履いていないから売れる」と考えるか,二つの考え方があります。可能性を見つけることが考えることだというたとえ話です。

・・・考える力を生かすためには,可能性を見つけようとすべきでしょう。・・・


 ○学習して知っただけでは,まだ十分とは言えないのでは?

 その通りです。少し整理をしておきましょう。自分が「失敗」します。そこでもう一人の自分が「反省」し,自分の実力を見極めます。その上で,もう一人の自分は,できている人と自分を比べて間違ったところを「学習」します。ここまでで終わると,自分の力にはまだなっていないことになります。自分がやってみて,成功しなければなりません。成功すれば,できる自分に育ったことになります。つまり,もう一人の自分が自分に,もう一度やってみようと「挑戦」させるステップが残されています。

 この挑戦ですが,「スモールステップ(小さな一歩)」であることが大事です。「やれそう」と見切りができることです。できそうもないことに挑むのは無茶・無謀・無駄・無理なことです。「それだったら自分にもできるかもしれない」と思うためには,少しの勇気が要ります。その勇気を生み出すためには,「ここを変えてみよう」という何らかの改善策を学習から見つけておくことです。もちろん,それがアドバイスであっても構いません。

 跳び箱は跳べないと思っていたら跳べませんし,無理に跳ぼうとしても手が最後の瞬間にブレーキを掛けるので危険です。人ができるなら自分もできるはずと開き直ることも一つの思い切りです。そこで「みんなも跳んでいるんだから,あなたも跳べるはず。思い切って跳んでごらん」と指導されます。しかし,どうすればうまくいくのか何の思案のないままでは,やはり「跳べるかも」とは思えません。跳び箱の先端部分に印を付けて,「ここに手をつくようにしてごらん」と指導すれば,今までと違ったやり方とはっきり分かるので,挑戦してみようという気になれます。

 挑戦はもう一人の自分ができると思ったとき,始まります。幼児がママと一緒に歩いているときです。ちょっと立ち止まって,それに気づかないママとの距離が離れてしまうことがあります。幼児がすぐに振り向いて歩いていくママを見たら,「ママー」と追いかけてきます。ところが,ママとの距離がかなり離れてしまうと,走ろうとせずに座り込んでしまい,「ママ」と泣き声で叫ぶだけになります。走って追いつけるかどうかを見切っています。少しなら走りますが,少々のことでは追いつけないと思うと,走ろうという気は起こりません。挑戦は「少しならやれそう」という形があるのです。

 小さな挑戦なら,かなりの程度達成することができます。子どもは達成感を喜びながら,次の小さな挑戦を続けていきます。その繰り返しが,「少しならできる」という自信につながります。物事に取り組む際に,「できそうなことをすればいいんだ」という姿勢を身につけます。例えば,算数の問題を解く場合にも同じやり方が有効です。問題を見て答えの出し方が分かるのは,問題ではありません。それは単なる計算です。問題は解き方自体が問題になっています。ですから,読んだだけでは分からないように作ってあります。でも,とにかく自分ができることを一つ一つ進めていけば,次は「こうすればいいのかな」という筋道が向こうから近づいてきます。問題を解くのではなくて,問題の方から解けてくるようになります。

・・・失敗した自分が,もう一人の自分の助けで挑戦し直します。・・・



《学ぼうという気持ちは,小さな挑戦を見つけようとすることです》

 ○子どもの育ちは,「失敗・反省・学習・挑戦」という4つのプロセスによって順序よく進行していくものです。4サイクルのエンジンが育ちのエンジンです。このエンジンがクルクル回っていれば,子どもは順調に成長していきます。「失敗は成功の元」という言葉は,すべての物事の成長を表しているのです。
 親による子育てでは,「失敗してはいけません」と失敗を禁止し,「ほんとにドジなんだから」と反省する気を奪い,「これくらいのことがどうしてできないの」と学習をあせり,「100点じゃないと意味がない」と無謀な挑戦を高望みしていませんか。それが育ちを邪魔していることに気づいていただけたでしょうか?


 【質問12:あなたのお子さんは,学ぼうとしていますか?】

   ●答は?・・・もちろん「イエス」ですね!?

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