*** 子育ち12章 ***
 

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「第 12-03 章」


『ママを呼ぶ 子どもの声を 聞き分ける』


 ■つれづれ

 市中引き回しの上獄門。えらく古風な物言いが飛び出してきたものです。言論の自由,価値観の多様性が保証されつつある現在,何でもありという時勢の中では,起こりうることではありますが,公私の別という区分けが曖昧になると,それは問題発言という尺度を持ち出さざるを得ません。

 物言いには自ずから程があります。たとえ自分では正しいと信じることではあっても,言葉を人に向ける場合には礼節という包装が必要です。生の感情をむき出しに言葉という礫として放り投げる不作法さは,いい年をした大人の言動ではありません。正しければ何を言ってもいいという思いこみは,社会生活上,慎重でなければなりません。それは何が正しいかということが必ずしも絶対的ではないからです。

 おしゃべりに類する発言では,かなりの過激さも狭い関係の中でお互いの了解の上で許されます。それが私的な場であるからです。しかし,不特定の人に向かっての発言,公的な場所での発言は,契約という性格を帯びてきて,責任を伴います。広い意味で公約という範疇に組み込まれるからです。

 言葉はひとまとまりになっていなければ,確かな意味を伝えることはできません。ごく一部を取り出して反論するという手法がありますが,それは糾弾という意図を持った舌鋒だけではなく,お互いの了解を深めるための確認作業という手続きでもあります。あなたの言葉をこういう意味で聞いたが,それでいいのかという確認です。それが議論というものの基本です。

 匿名での発言や,不特定に向けた発言では,相手が受け止めるであろう意味を洞察した上で,分かり合えるように言葉を選ばなくてはなりません。なぜなら,反論するという検証ができないからです。口舌の徒である高官が言葉遣いの初歩を弁えていないのは,悲しいことです。

 情報社会という言葉の氾濫状態が,言葉の意味をインフレ状態に変質させています。だからこそ,過激な言葉遣いをしたがります。普通に言っては意味が伝わらないと錯覚するからです。その過激さが道を踏み外した発言につながっていきます。言葉の乱れ,それは言葉が食傷気味であるという状況から派生しているのです。



【質問12-03:ママ,あのね。ママはボクを思ってる?】

 《「ボクを思う」という意味を分かってあげましょう!》


 〇隠し味?

 今日はママがお友達とのお食事会にお出かけです。うれしそうに「行って来ます」と出ていきました。ボクはパパとお留守番です。久しぶりにキャッチボールをして遊びました。弟が割り込んでくるので,危なくて仕方がありませんでした。パパが投げるボールはビューンという音がするので,ちょっぴりこわかったです。

 夕食の前にママが帰ってきました。きれいな紙袋を下げています。パパが「買い物をしてきたのか」と尋ねると,「いいもの」と言って笑っています。夕食の準備ができましたというママの声で,みんなが食卓につきました。真ん中の大きなお皿の上に,ごちそうが載っています。ボクの好きなものがいっぱいです。

 「どうしたんだ」というパパに,ママは「今日の食事会で食べておいしかったから,テイクアウトしてきたの」と答えていました。ママはちゃんとボクたちのことを覚えていてくれたんだとうれしくなりました。パパは「手抜きをしたな」と言って,ママに叱られています。どうしてパパは素直でないんだろう。

 あのね,ママ。ママが出かけるとき,自分だけ美味しいものを食べに行くなんてとボクは思っていたんだよ。でも,ママはやっぱりボクのママだった。食べ物につられてげんきんだけど,ママが大好き。ママがボクのことを思ってくれている,その嬉しさが,美味しさの隠し味になっていて,最高だったよ。

 ママが留守にするときに,僕たちのお昼ご飯は,ママがちゃんと用意してくれているよね。弟と二人でテレビを見ながら,ママのお昼ご飯をきちんと食べているよ。でも,お友達の中には,これで食べなさいって5百円玉をもらう子もいるよ。お金は食べられないから,ボクは嫌だな。だから友だちはおもちゃを買って,お昼は食べないって言ってたよ。

・・・子どもが求める親らしさ,それは思ってくれていることです。・・・


 〇真剣さ?

 学校に登校する道を友だちと歩いているときです。いきなり後ろから車のクラクションが鳴って,ビックリさせられました。話に夢中になっていて,道をはみ出してしまっていたのです。「危ないじゃないか,気をつけろ」と運転手さんに怒鳴られてしまいました。ボクは怒鳴らなくてもいいのにと思いましたが,そのまま走って行きました。

 夕食の時に,交通事故のニュースをテレビで放送していました。ボクは朝の車のことを思い出して,こわいおじさんに叱られたことを訴えました。パパにも怒鳴られたことがないのに,よその人に叱られたことが嫌だったからです。ママも自分の子が見ず知らずの人に叱られたと聞いて,いい気持ちではなかったようです。

 パパがどんなことだったのか話してみなさいというので,友だちと昨日見たテレビの話をしながら歩いていたことなどを話しました。パパは「おまえが悪い。叱られてよかったんだ」とちょっとこわい顔をして言いました。「パパだってそんな子がいたら叱るぞ」。「よその子でも?」。「どこの子でもだ」。ママとボクはいつもと違うパパを感じていました。

 ボクのことより,よそのおじさんに味方するパパが意外でした。「事故のニュースを見ただろう。事故を起こそうという人はいないのに,事故は起こる。それは両方が注意をしていないからだ。お前が注意していないとき,おじさんが注意していなかったら,どうなっていたか考えてみなさい。お前は事故を半分起こしていたことになるんだぞ」。

 ボクはパパがいつもと違って真剣に話してくれていることにドキドキしました。ママが普段「ちゃんと周りを見るのよ」と言っていることを思い出しました。うるさいなと思っていたけど,ボクのことを気に掛けているからだと分かりました。真剣なパパと向き合って,少しお兄ちゃんになれた気持ちがしました。

・・・子どもが親を感じるときは,真剣に向き合ってくれるときです。・・・


 〇受容?

 ママはボクが言うことを聞かないってすぐに怒る。ボクだってママは言うことを聞いてくれないと思うことがあるのに。早くしなさいってママは急かせるけど,ボクにはボクのやり方があるんだよ。こうしたらどうなるかなって,考えてるんだよ。ぐずぐずしないのってママは言うけど,あれこれ考えているだけなのに。

 砂遊びをしていてトンネルができたから,ママに見せてあげようと呼びに行って手を引っ張ったら,手が砂だらけじゃないのって叱られちゃったけど,つまんないな。手に付いた砂はザラザラしていて,気持ちいいんだけど,ママは違うのかな。洋服も砂だらけだといって,ママの大きな手でお尻をバタバタ叩かれちゃった。トンネルがどこかにいっちゃった。

 ママが買い物に手間取ったと言いながら,とても慌てて帰ってきました。「お帰りなさい」とまとわりついたら,「ほら,邪魔でしょ」といって突き放されてしまいました。こんな時のママは要注意です。ママのイライラとボクは何の関係もないのに,側にいたら何でもボクのせいにされてしまいます。危ないママです。

 あのね,ママ。ママは「あなたのためを思って」と言うけれど,分かってくれないという言い方を聞くと,ママは自分の要求を押しつけているだけのような気がしちゃう。「あなたがいるから」と言って世話をしてくれているけど,すればいいというような面倒そうなママを見ると,ボクはママにとって邪魔な存在みたいに思えてとても寂しくなってしまう。

 ボクはまだ小さいから,ママのようにできないし,ママのペースには合わないことばかり。だからといって,ママの邪魔するつもりはないんだよ。ただ毎日を一所懸命に生きているだけ。だから,正直言って,ママのご機嫌を取り繕う暇はないんだ。でも,ママにはボクのことを丸ごと受け容れて欲しいな。

・・・子どもが求める親は,汚れたままでも抱いてくれる親です。・・・



《ボクを思うとは,気持ちをまっすぐにつないでやることです。》

 ○手の掛からない子どもがいます。放っておいても大丈夫な子どもで,親にとってはありがたい子どもです。でも,子どもにすればこんなはずではなかったと思っています。親の邪魔にならないようにいい子になればなるほど,親から見放されていくからです。

 子どもは親とのつながりを信じられるので,安心して育てます。親が安心して見放すときには,逆に子どもの方は不安に襲われるのです。だから,たとえ悪いことであっても,親を振り向かせるためにしでかします。子どもの不安を親が引き受けてやらないと,子どもの育ちはいびつなものに曲がっていきます。


 【質問12-03:ママ,あのね。ママはボクを思ってる?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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