*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 12-05 章」


『聞く力 しつけなければ 育てない』


 ■つれづれ

 かつてPTAの会長をしていたことのある小学校のスポーツ大会に招待されました。夏休み最初の日曜日にPTA主催で地区対抗の小学生によるドッチボール試合を挙行するのが開校以来の伝統行事です。そのときの感想です。子どもたちが開会式を進めているPTA役員の号令に従わないのです。その風景はやはりという思いを強くするものでした。

 言葉が耳に入らないという状態です。子どもたちが反抗しているのではありません。人が話している言葉を自分の言葉として受け容れることができないのです。言葉が漂っているだけで,それをつかんで理解して,自分の体に伝える回路が休止していると言えば,つじつまが合うような感じなのです。一瞬言葉が止まってしまったような不思議な印象を受けました。

 言葉が自分に向けられているという指向性感度が極端に鈍くなっています。言い換えると,傍聴者なのです。流れる言葉を見ているだけです。あなた達に言っているんですとことわっても,通じないのです。行動がノソノソして,きびきびした動きが出てこないのは,もう一人の子どもが自分に向けて指令を出すことができないせいだと考えた方が的を射ているようです。

 ちょっとばかり先走って考えを進めると,情報社会の中でもう一人の自分が聞き取る言葉が多すぎて,いちいち自分に反応をさせていたら自分が保たないために,自分との連結回路を防衛上遮断しているのです。自分を切り離しておかないとストレスで押しつぶされそうな状況に追い込まれているのでしょう。子どもは環境に順応しようとしますが,順応し続けることが過剰な負担になるときには,不感症状態に反転せざるを得ません。

 大人の言うことを聞かない子ども,それは聞くことに疲れてボロボロになった子どもだと言えます。子どものペースを越えて言葉が大波となって襲いかかっているようなものです。一々聞いていたら身が保たない,そこまで追いつめていることを,大人は気がつかなければなりません。



【質問12-05:ママ,あのね。ママはボクの言葉を聞いてる?】

 《「言葉を聞いてる」という意味を分かってあげましょう!》


 〇オウム返し?

 ボクがまだ言葉をしゃべれない頃,「ウーウー」と言いながら指を差したら,ママはちゃんと分かって取ってくれたりしながら,「これは○○よ」と名前を教えてくれていたよね。今は「それ取って」と頼んでも,黙って手渡してくれるだけ。ときどきママは「ちゃんと言いなさい」と言うけれど,名前を知らないから「それ」としか言えないんだよ。

 ママが「どこに行っていたの?」と聞くから,「川」って答えると,「川じゃ分からないでしょ」と怒られちゃう。どうして分からないのかな。川は川なのに。水が流れているところだよ。キラキラして冷たくて魚が泳いでいるのが見えるんだよ。ママも一度見に来たらいいのに。

 ママが「何してるの?」と聞くから,「見てる」って答えると,「水道の水を流しっぱなしにして,ダメじゃないの」とまた叱られてしまう。ボクは水がいろんな形をするから見ているだけなのに,見ちゃいけないのかな。次々につながって出てくる水がはじけるように飛び跳ねて,楽しそうに踊ってるんだよ。ママも一緒に見たらいいのに。

 あのね,ママ。ママはボクが言っている言葉をちゃんと聞いてくれているのかな。それに,ママが何を言っているのか分からないことがいっぱいあるけど,ボクに分かるように言ってくれないかな。ママとちゃんとお話ししたいんだけど,ママは違ったことばっかり言うから,つまんない。

 園の積み木で遊んでいるとき,「何を作ってるの?」と先生に聞かれて,「お家」と答えると,「そう,お家。いいわね」と見てくれたよ。先生はボクの言葉を繰り返して返してくれるから,「大きいお家を建てるんだ」とお話が続けられて,何かしらホッとすることができるんだ。ママもそうしてくれたらいいんだけど。

・・・言葉がちゃんと返ってくるとき,言葉の伝わる喜びがあるものです。・・・


 〇漢字の言葉?

 夏休みになるとNHKラジオで子ども科学電話相談がはじまるので,ボクも楽しみに聞いているけど,難しい言葉が出てきてよく分からないことがあるよ。今日は小学一年生の女の子が「温泉はどうしてあんなに熱いんですか?」と質問して,先生が説明してくれているとき,「チカスイ(地下水)」という言葉が出てきたんだ。すると女の子が「スイって水のことですか?」と聞き直していたよ。

 温泉が熱いわけを知りたいのに,どうして水をスイって言い換えなければならないのか,女の子はよく分からなかったかもしれない。温泉の水は地面から噴き出してくるけど,地面の下の方には熱いところがあって,その側にある水は沸かされるからお湯になるんだって言ってもらえたら,分かったと思うよ。地球の構造がどうなっているのかなんて,地球というのが何かまだ知らないから分かるわけないのに・・・。

 どうして先生は,ボクたちの質問に答えるのにあんなに長く説明するんだろう。ママの答えはいつも一言だから簡単だけど,短すぎてわけが分からないし,どうして大人ってボクたちとちゃんとお話しできないんだろう。どうして,ママ?

 大人って漢字でものを考え説明しようとするから,漢字の言葉を習っていない子どもには分からないんだよ。子どもが知っている言葉で説明してくれないのは,大人の話す言葉が漢字の言葉であると自覚していないせいだと思うよ。子どもはひらがなで話していると思ってもらうといいんだけど。

 あのね,ママ。ボクが書いている夏休みの日記を見せてあげようか。漢字は少ししかないよ。もしボクが「ちかすい」って書いていたら,ママはすぐに分かる? しばらく考えてしまうでしょう。そして,「ああ地下水のことね」って漢字に直しているでしょう。でも,ボクたちにはまだそれができないんだよ。

・・・子どもの話す言葉はひらがなだと思って聞き取ってやりましょう。・・・


 〇いきなり?

 「ママ,セミって何を食べるの?」。「いきなり何を言うの,そんなこと知らないわよ」。ボクは困ってしまいました。学校の帰り道にある大きな木の下を通りかかったときです。足下で何かバタバタという音がしたので見ると,セミが仰向けになって地面に落ちていました。拾って木の枝につかまらせようとしたけど,すぐにまた落ちてしまいます。

 お腹が空いているのかなと思って,何か食べさせるつもりで捕まえて帰ってきたのです。手の中でセミがもぞもぞと動いています。ママに助けて欲しかったのですが,ママは聞いてくれません。どうしようと迷いながら,そっと手を開いてみました。ママが動かないセミを見て,「死んだセミなんか持ってどうしたの。さっさと外に捨ててきなさい」と言います。

 セミは足を動かしています。何かしてあげたいけど,どうしていいのか分かりません。ボクは庭に出ていって,ツツジの木の上にそっと置いてやりました。葉っぱがたくさんあるので,セミは落ちることはありません。じっとしています。ボクは側に立ったままセミをそっと見ていましたが,なぜか悲しくなりました。

 「さっさとあがってきて,手を洗いなさい」。ママの声が通り過ぎていきます。何か食べたらまた元気になるのに,食べさせてあげられないのが悔しいのです。ツツジの花が咲いていたら,チョウチョと同じように蜜を飲ませてあげられるのに。いろんなことを考えていました。

 あのね,ママ。ボクが言いたかったことは,「セミがお腹を空かせているみたい。かわいそうだから何か食べさせたいんだけど,何を食べさせたらいいのか分からないから,教えてちょうだい」ということだったんだよ。でも,まだ子どもだから「セミは何を食べるの」って,最後しか言えないんだ。気持ちや理由を説明することをまだ知らないんだ。ボクが何故そんなことを尋ねるのか,ママに聞いてもらえたらよかったんだけど。

・・・子どもの言葉はその背後にある意味を省略しているので要注意です。・・・



《言葉を聞いてるとは,お互いを分かり合いたいという願いです。》

 ○言葉には話し言葉と書き言葉があります。「バックします,五十円下さい」って分かりますか? トラックがバックするときの案内の音声をまねしているのです。「ごちゅい」という音声が,子どもには「五十円」に聞こえてしまうのです。選挙カーのまねをする子どもが,「○○に五千円下さい」と叫んでいます。「ごせいえん」が「五千円」に聞こえるからです。単なる勘違いですが。

 子どもの辞書には「ご注意」とか「ご声援」という言葉はありません。そこで聞いた音声を知っている「五十円」や「五千円」という言葉に結びつけてしまいます。仕方のないことです。ということは,子どもが見聞きしている世界は,大人が思っている世界とかなり違っているということです。話し言葉の達人であるママが,豊かな言葉を口移ししてやる必要性があるということになります。


 【質問12-05:ママ,あのね。ママはボクの言葉を聞いてる?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第12-04章に戻ります
「子育ち12章」:第12-06章に進みます