*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 15-13 章」


『育ちには 輝く心 仕上げなり』


 ■徒然子育て想■
『信頼育て?』

 教室では,先生が君臨しています。評定権を握っているほうが,どうしても強い立場になります。親にすれば,子どもを人質に取られているという思いが出てきます。特に進学が絡んでくると,内申書という書類が先生の手の内にあり,気になるところです。このような心配は信頼関係がないことから生じます。師弟関係はもっと温かいものです。子どもによかれと考えることが,先生の使命なのです。信頼し信頼に応える,その初心を忘れないことがもっとも大事なことです。

 ある若い先生が子どもの思いを知りたいと考えました。そこで,「先生の授業は分かりやすいですか」,「えこひきせず,みんな同じに接していますか」,「身だしなみで気付いたことは」,「字は正しいですか」などについて,子どもたちに評価してもらいました。子どもたちからは,「先生は字が上手です」,「先生のブローチはきれいです」,「先生は頭がいいです」という答が返ってきました。

 子どもたちの目は,先生のいいところを感じ取って,悪いところは目に入れず,優しさや美しさだけに心を傾けていました。先生は評価されることで評価している自分を振り返ることができたのですが,それはとても苦いものになりました。それまでは,子どもたちの至らない部分を探して,ここがダメだと指摘することが評価することだと思い込んでいました。100点からの減点法だったのです。でも,子どもたちの目は逆でした。評価とはよいこと探しだよと教えられたのです。

 信頼するということは,相手のよいところ探しによって実現されます。わるいところを見つけようとするのは不信行為そのものであるということは,ちょっと考えれば明らかです。評価という行為を使い間違えると,信頼関係を左右することになります。子どもを評価する立場にある親や先生は,その危険な実践を自覚しておかなければなりません。それは理想です。現実には,子どもの悪い部分を正さないといけないことがたくさんある。そういう反論があるはずです。

 子どもの至らない部分を放置しておくわけにはいきません。その通りです。よいところ探しとわるいところ探し,どちらかを選択して他方を捨てるということではありません。両方とも必要なのですが,よいこと探しを先にするという順序が大事です。自分のよいところをちゃんと見てくれていると思えば,相手を信頼できます。その信頼する相手からのわるいところ指摘は素直に耳に入れることができます。先ず信頼関係をつくること,そのことに着目してください。

 信頼されていると思えば,もっと信頼を深めようとするでしょう。至らないところを改めたくなります。よいところをもっと延ばしたいと願います。評価がよい方向に生かされます。子どもの気持ちを前向きにするには,信頼しているというメッセージをきちんと伝えなければなりません。それは,いつもよいところを見ているよというメッセージです。子どもはほめて育てよという言い方をされますが,その意味は信頼を育てるということなのです。



【質問15-13:ママは,どうして子どもの心を掴まないの?】


 ○揺れる心!

 台所の壁にダビンチの「モナリザの微笑」のポスターが貼ってありました。息子さんは,お父さんから「これはお母さんの若いころの絵なんだぞぉ」と教えられていました。お父さんのちょっとした茶目っ気でした。あるとき,息子さんが学校の教科書にまったく同じ絵を見つけてしまいました。「どうして母ちゃんが載っているんだぁ!!」と真剣にどぎまぎしていました。お父さんのいたずらがばれてしまったのは言うまでもありません。

 ママとしては,いつまでもモナリザであり続けたかったかもしれません。残念? でも,そんな昔の写真のままでいいわけはありませんね。今の素敵なママがなによりです。子どもにとって,昔のママはあり得ません。ママだって子どもや若い頃があったはずと分かってはいますが,それでもママはママなのです。自分が産まれる前のことは,現実ではなくて,おとぎ話の世界とつながっているような感じです。ママの姿を教科書に見つけたら,それはとても場違いな登場で驚かされるはずです。

 病院でのひとこまです。ある日,通院のために2人の孫を連れてきたおばあちゃんが,看護婦さんに話しかけました。「おかげさまで下の子(弟)の病気が治ったのはいいんだけど,兄ちゃんの薬を飲みたがって困るんだ。この子は薬大好きだから…」。看護婦さんが何と返事をしたらいいのかわからずにいると,そのおばあちゃんが続 けて言いました。「あんまり騒ぐもんだから,"きなこ"出してやったら喜んで飲んでるわい」。子育てのベテランはさすがですね。

 子どもには薬が何かということは理解できません。なんだか分からないけど,とってもすごい魔法の食べ物とでも思っています。だって,お店にはない特別なもので,とても大事そうに扱われ,誰でも口にするものでもなく,選ばれた人だけがちょっとずつしか飲食できないのですから。子どもにとって,一口にも満たない少量しか口にできないものという限定があるからこそ,欲しいという気になります。これぽっちしかないとなると,欲しくなるのは人情ですね。

 デパートのレストランでソフトクリームが売られていました。母子連れが売り場の前で話しています。「ソフトは何にする?チョコ?バニラ?ミックス?」,「う〜ん」。「早くしなさい!何にするの(イライラ)」,「じゃあ、チョコ!!」。「だめっっ!バニラにしなさい!」。全く選択の確認になっていません。似たようなことは他にもありますね。「今日は何が食べたい?」,「ハンバーグ!」。「だめっっ!」。聞かれたから答えたのに!

 子どもがママに対して抱いている不信感は,その場その場で言うことが違うということです。ママは気が付いていないでしょうが,かなり移り気なのです。子どものことを「今啼いた烏がもう笑った」なんて言うことがありますが,「今笑ったママがもう怒った」と子どもに思われてはいませんか? 何にする?と尋ねているときは白紙の状態であったはずですが,返事が戻ってきた途端に,あれこれ考えて豹変します。そんなママの心の動きは,素直な子どもには思いも及ばないことです。

・・・子どもの心がつかめないのは,親の心が揺れているからかも。・・・


 ○男ありけり?

 ある日たまたま,お父さんが小学四年生になる娘さんの作文を見ました。「母さんや,お父さんがいてくれるから」とか,「母さんや,お父さんが働いてくれるから」などと書いてあります。よく考えると,すべての箇所でお母さんが先になっています。お父さんは少し気になったけれども,何も言わずいました。ところがその後,とうとう「お母さんらが働いているから色んな物買える」って,小さい弟に娘さんが説明しているのを耳にしてしまいました。お父さんという言葉は出てこず,「ら」で片づけられたのです。お父さんはさみしい!

 お父さんは何処にいるんでしょう? いてもいなくてもいい人ならまだしも,いない方がいい人に落ちぶれたらたいへんです。お父さんという言葉が聞こえなくなるにつれて,お父さんの存在感が薄れていきます。言葉は気持ちを表すだけではなく,気持ちを産み出します。家庭からお父さんを追い出すのは簡単です。お父さんという言葉を追放すればいいのです。そうならないためには,お父さんがそこにいなくても,お父さんという言葉を口に出すようにすればいいのです。今頃,お父さんはどうしているかな?

 家族4人で夕食を食べている時のことです。息子さんが何を思ったのか,「お姉ちゃんって目が細いねー。一体誰に似たの?」と言いました。お母さんが目の前に座っているお父さんをふっと見ると,黙々とご飯を食べつつ思いっきり目を見開いていました。誰に似ているといった答がないまま,お互いを見交わす無言の間,お父さんは刺すような視線を感じながら,話題が逸れるのをひたすら待ち続けています。

 目が細かったら悪いか? そんな声が出せたらいいのですが,それができない虐げられたお父さんの地位は悲しいですね。目が大きい方がいいという見かけに関する評価に対して,そんな物差しは限られた世間でしか通用しないという別の評価を持ち込むのが,父親の出番のはずです。でも,違った価値観を持ち込むとシカトされてしまうという恐れが蔓延っています。単一の価値しか認めない世界になれば,ほとんどの人が規格外にはね除けられ,自縄自縛の状態になるはずです。怖いことです?

 上に女の子2人,下に男の子1人の子どもを持つご家族があります。一番下の3歳の男の子がお姉ちゃんと一緒に遊ぶので,いつもままごとばかりです。そこで,両親が「男の子らしい遊びを」と願って,怪獣の人形と電車の模型を買って渡しました。ところが,男の子は「かいじゅうと〜でんしゃが〜けっこんしました〜♪」とあどけなく遊んでいます。両親の悩みは一向に解消されません。

 男の子らしい遊び? それに対して,女の子らしい遊び。そんな考え方は男女差別というファイアウォールで阻止されます。立て前ではそうなっています。本音もそうでなければならないという風圧が働いています。でも,男女概念を封じ込めるという風に人の価値観を単一化することには,不安を感じるのが普通です。価値観は二つの対立項が両立してこそ,バランスが保たれるものです。特に強調しておきたいことは,父親が体現している男らしさの中にあった,勇気と卑怯という対立項が跡形もなく拭い去られたことです。人の行動にメリハリをつける重要な資質なのです。お父さんの出番を失すると,子どもは気持ちの芯を持てなくなります。ガンバレ,男たち!

・・・父親の出番は子育ちにとって必須の要件なんですよ。・・・



《子どもの心は芯が育つまで浮遊していると心得て下さい。》

 ○産まれたばかりの赤ちゃんを抱くとき,グニャグニャして力を込めるのがこわいですね。首が据わるようになると,胸にグッと引き寄せることができます。身体の芯ができると,しっかりしてきます。心も同じです。フワフワしている子どもの心を,親はガチッと締め付けたくなりますが,それでは苦しくなります。かといって,手放していると,とんでも無いところに彷徨うようになります。

 両親の左右の手を合わせて,水をすくうような器の形にします。澄んだ水を汲み上げるように子どもの心を支えてやります。握りしめるのではなく,覆い隠すのでもなく,脇支えをしっかりしてこぼれないように,自由な上空に向けて開いておきます。心は真っ直ぐに上昇していくはずです。両親の意気が合わず,支える手のひらが緩んでしまうと,指の間からスルッと滑り落ちていきます。大事な心を壊さないようにお願いします。

「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第15-12章に戻ります
「子育ち12章」:第16-01章に進みます